ヒスグラの同人誌
こんにちは!みんです
私は、未だにヒステリックグラマーをかっこいいと思ってしまう自分が悲しいです。もう誰も覚えていない過ぎたものに固執し、当時の自分の価値観は間違っていなかったと思い込みたいがためにヒスグラを美の基準のひとつとしているようなところにあさましさを感ぜざるを得ない。でもかっこいいと思う感覚も真に迫って感じられるから苦しい。
多くの人と同じように、私は気軽にたくさんのものを美しいと感じて生きてきた。その中にはコミケで買った18禁同人誌もあった。18禁同人誌はポルノだから、扇情的な表現が扇情を目的として多用されている。しかし、自分でも信じられないが、扇情以上に心が動かされるようなポルノに出会ってしまった。私は同人誌に描かれた性行為を人間の生命とそれを継続させる愛という現象の結果としての行為と感じ、あまりの美しさにその同人誌を人生の教本として尊重し、生きる上での指標としてきた。だがポルノ同人誌を参考に生きている自分をろくでもなさすぎると感じるのも、また事実だった。
今よりずっとのんきに生きていた学生時代、そのバイブル同人誌の作者と短い会話をする機会に恵まれた。きっと魂を注ぎ込んで制作したであろう作品のよさをいかに理解しているか証明したかった。彼に魂を同じくする者として見られたいと思った。それで「私もあなたのような作品を作りたい」と、教祖に愛を示すつもりで熱心に伝えた。彼はちっとも嬉しくなさそうに「あれはね、描きながら泣いてたよ。正直」と応えた。言葉の意味を十分咀嚼する時間を与えられなくとも、それは当然だと直感した。美の教徒であるうちは創造主の立場にたどり着くはずがなかった。魔法のように見えた表現の数々は、彼の誠実な生き方に依拠したものだった。一方で私には、限られた人しか手にとらない同人誌に美を感じていることに対する”選ばれし者”的な優越感が少なからずあったのだ。私の一切の美的関心は、私の存在価値を守ろうとする心理的防衛反応に裏付けられていたようだ。彼は自分の全存在を賭けてあの同人誌を作ったのだと直ちに理解し、その感覚が初めから備わっていない自分の凡人ぶりに心底落胆した。
だが私にはまだ彼をどこか手の届かない遠くに居る星のように見る部分があり、無責任に彼を模倣するため、一度きりの対面において印象に残っていた彼の服装に近い系統のものを探した。彼があのとき着ていたものとよく似たタンクトップは、あっけなく見つかった。ヒスグラのタンクトップと関わりを持ったときから私の心は緊張し、私の意識はタンスの中で異彩を放ち続けるヒスグラのタンクトップに向いていた。しかしそれを買うときも着るときも、私を見る人の目は拍子抜けするほど簡素で無感動なものだった。それからあの同人誌に対する感動はファッションへの関心に遷移していき、薄っぺらな小冊子は散らかった部屋の中で無数のポルノに紛れていつのまにか見かけなくなり、存在を忘れられたまま何年も過ぎていた。
結局私の全存在は希薄なまま私の心を保護するためのものであり続け、気軽で受動的な美的感覚は相変わらず徒に私の心を動かし、私は永遠の凡人である。彼は命を削って泣くことができるが、私は自分の欠けるところを自らの目から隠すためにしか感情を遣うことができなかった。それでもいい、そういう人生もあるのだと彼には肯定してほしい。7950円のヒスグラのタンクトップを。