【批評ギルド】『東京少年(皆のウタ)』リョウ
Monk


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僕が東京少年だったのは小学校5,6年のときだけだった。新宿の地下通路に
は夜になると5mおきくらいにおじさん達が寝っ転がっていた。張り巡らされ
た地下鉄の全てを網羅したときに初めて東京を制覇したと言えるんだ、と思っ
ていた。中学高校は三重県の田舎に飛ばされていたので、シリアスな東京少年
だったことはなく、荷台に花火を付けた自転車で田んぼの中のあぜ道を爆走す
る快活な少年だった。
大学に通うために東京へ戻ってきたが、新宿の地下通路はひどく歩きやすく
なっていてきれいになったもんだと思った。きれいな街は好きだ。大半の人は
きれいな街が好きだ。それがすぐに見破られる上っ面のきれいさでも、そうい
う嘘に気づいても気分が悪くならなければそれで良いんだろう。

よく考えてみればそんなにシリアスだったことはない。女の子にふられたり、
傷つく出来事があったり、世の中にはいろんな人間がいて面倒だと思ったこと
はあるけれど、悩むことがあまりなかった。いろんな人間がいて面倒だという
ことは世の中は面倒なものなんだと結論を出して普通に暮らしていた。取り返
しの付かない間違いをおかさなければ、それが間違いでもいつか修正されたり
修正できるようになるだろうと思っていた。現に今ではいろんな人間がいてお
もしろいもんだと思っているので、これからも変わる時がくれば変わるだろう。

「東京少年」を読んでいてふと自分の少年だった頃に考えていたことを思い出
してみたけれど、いやぁ僕も東京少年だったなぁという書き方はできないこと
がわかった。彼ら東京少年を取り巻く、悩み、欲望、矛盾、説教、自由、不自
由、大人、ナイフなどなどは一つ一つ判断を下し、つきあっていけば良い物事
だと僕は思ってしまう。でも彼らは全てのことを同時に受け止めて時に飽和し、
時に放棄するだろう。「全て」を「同時に」だから。
そして彼らの周囲が全てを同時に要求しているのも事実だった。

それでも僕は彼らの気持ちを「わかった、なるほどな」とはあまり言いたくな
い。別に言ってもかまわないが、それじゃ東京少年、君たちが納得しないだろ
う?だから自分でなんとかしろと思う。ヘルプがほしければ自分から求めろ。
支援者はそばにいないかもしれないが、まったくいないわけではない。そんな
ことはあり得ない。辛い境遇なのであればそれは仕方ない。他人より労力を必
要とするかもしれないが、やるしかない。
同時にそのまま悩んでてもかまわないとも思う。ただ悩むことに慣れて「僕は
悩んでいます」と札を掛けた部屋の中で暮すことと、目的を持って打開するた
めに荷物を背負いながら悩むのとは全然違う。

この「東京少年(皆のウタ)」はそういった悩みや葛藤を抱えた子供達の声を
ひとまとめにしている。なので一貫した筋のようなものはないし、列挙されて
いる葛藤も何かからの自由、何かへ抗うといった漠然としたものばかりだ。漠
然としたことに思い悩むのは子供の特権なのだが。素直にいろんなことを書い
てしまったので詩作品としてはぼんやりしてしまった。
あと他の方も書いているが東京少年と書いている効果はあんまりない。東京
じゃなくてもよいというのもあるし、皆の意見を東京だけに代弁させるのも無
理があるかもしれない。

しかしこういう子供の気持ちを代弁するような作品は難しいなと思う。ちょと
だけ書く立場になって考えてみるが、東京少年たちが納得するようなものは書
けそうにないなと思う。東京少年と呼ばれる対象が限られた個人ではなくある
程度一般化された集団だからであって、どうあっても「想像して書いたような
作品」になってしまうと思った。僕も大人なので仕方ないが、だとしたら大人
と子供のギャップを認めたうえで何か書けないだろうかということを考えた。



散文(批評随筆小説等) 【批評ギルド】『東京少年(皆のウタ)』リョウ Copyright Monk 2005-05-07 21:57:26
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