休日の終わりに
番田 

居間のテーブルの高さについて考えていた。そして、テレビを見るための高さと、ケーキを食べるための高さは同じではないのだということに気づかされていた。どちらにしても、椅子に座っている時はテーブルの上にあるものは食べづらいのである。何かを食べる時は床に座り込んでいたほうが、胸の高さにまでテーブルが来るので安定する。ただ、ソファーなどの椅子がある場合は、テーブルを広めにしないわけにはいかないのではあるが、そのテーブル自体を低めにした場合はソファーとしての存在の違和感がなんとなくそこにはあるような気がしていた。各社のラインナップを見てみても、僕はそのあたりのテーブルの高さの設定自体に明らかな迷いがあるように感じていた。


そのようなことを考えていると、雨は上がっていた。夕方頃にスーパーに向けて自転車を走らせていると、小雨が降っていたので、意味はないのかもしれないが、身を屈めた。空気抵抗は減らしていたのかもしれないが、雨は回避できていたようには思えない。空気抵抗の低下によって速度が増すほどに、当たる雨の量は増えていたからである…僕は前に入ったことのあるマクドナルドの窓を見ていた。そして、そこから見ていた景色を思い出していた。夏の暑い日、店にたどり着くまでの長い道のりに目を閉じていた。バニラシェークの冷たくて甘い味を、汗だくの体とのぼせた脳に焼き付けながら、昔NYCの街並みの中を歩いていたことを思い出していた。何かを求めていた。そして、でも、探しているような気がしていた。どこか薄汚れたような、それでいて明るい街の中、小雨が降っていたのかもしれない、あの、人が溢れていた表通りで。MOMAの列に並びながら、西海岸から来たという人の話に耳を傾けていた。僕はそして何も考えていなかった…僕は昨今の戦争には反対だ。いつの世においても戦争は何も生み出しはしないだろう。最近は、そんなことを考えている。


散文(批評随筆小説等) 休日の終わりに Copyright 番田  2022-09-25 01:41:00
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