静かな時計が刻む時間はいつだって死んでいる気がする
ホロウ・シカエルボク


静かな時計が刻む時間はいつだって死んでいる気がする、死体の時の中で焦点のない日々を生きて空を見上げるころにはいつだって太陽は姿を消してしまっている、ヴァンパイヤのような一日の始まり、でも夜通し起きていられるわけでもない、百万の欲望が僅かな時間に脳裏を駆け巡る、そして一番細やかなものだけが叶えられるのだ、時はすべてを確信しているみたいに歩みを止めることがない、あるいはそれは、ただ流れているだけのものだからなのかもしれない、静かに、することを選ぶ時間はあまりにも短い、いつかの同じような夜を思い出す、そしてすぐに忘れてしまう、名前の付けられない記憶だけが、二十四時間営業のレストランの生ごみのように乱雑に積み上げられては捨てられていく、記憶は消耗品だ、消費した時間でなにが出来たのか考えてみる、でもそんな時間がふいに手に入った時、なにかをしようなんて考えることはない、静かな時計が刻む時間はいつだって死んでいる気がする、目を見開いて、死んだ時間の瞳孔を覗き込む、検死医の気分で、死んだ時間の瞳孔はぐるぐると高速で回転している、おそらくは時間の単位の中で一番短いものを数えているのだ、静かな時計の時は死んでいるが、それは悲しむことがない、なぜなら彼らは生きていた時代のことを知らないからだ、これを無意味な話だと思うか?忘れてはならないものが忘れられていることなんて珍しくない、近頃じゃ人間までもが静かな時計のように生きている、死んだ時を刻み、とにかく早く手に入るものだけを選んで過ごす、そして恐ろしいことに、時計は死んでいようと動き続けることが出来るが人間はある時点で本当に死んでしまう、死ぬことは幸せだと考えるものが居る、死は終わりではない、と、エクスタシーを思わせる表情で話す、死が終わりだろうと始まりだろうと同じことだ、この身体のままで来世を生きるわけではない、それは必ず入れ替えられて思い出すことさえも出来ない、輪廻に意味はあるだろうか、それを繰り返す意味、時計のように考えてはならない、人間は文字盤の上を滑るように生きてはいられない、昨日の二十四時間と今日の二十四時間は違う、そしてまた、明日の二十四時間もやはり違うのだ、なのになぜか、時計の針のように生きることを美徳とするものたちが居る、それが正確になされればなされるほど、彼らの声は大きくなる、簡単なものを選んでいるとだいたいの人間がそうなる、しつこく鳴り続けるアラームを切るように彼らを遮断する、生きるという観点において、彼らは一ミリも役に立つことはない、文字盤に潜り込み、針の中心を引っこ抜く、そんな意志を話してきた先人たちが俺をここまで連れてきてくれた、俺は彼らに感謝している、でもいまのところ返せるものはなにもない、彼らはそれでいいんだという、人は結局自分の為だけに生きるのだよと、「看板の立て方の問題なんだ」と彼らは言う、「誰かに見せるための看板なんて持つべきじゃないよね」俺はポケットに入れたまま忘れていた板ガムの包装を解き、一枚口に放り込む、人工的な甘み、「それは企業努力みたいなものなんだ」と俺は答える、「そしてそれは彼らを何処へも連れて行くことはない」哀しいね、と先人たちは言う、「人の世なんて何年経っても変わることはないものだ」俺は頷く、近頃じゃそれを疑問に思うこともなくなった、静かな時計の針は滑るように動く、俺は一秒ごとに身体を軋ませながら動く、人間は生きている時計でなければならない、なぜなら、このリズムは乱れることがあるからだ、乱れたときに、あの時がそうだとわかるようにしておかなければならない、文字盤を滑るだけの針では、どこで乱れたのか気付くことは出来ない、そんなシステムの中で耳を澄ませているとわかる、初めの一秒と、三分後の一秒は違うものなのだ、三分後の一秒には、三分間分の一秒がすべて含まれている、文字盤を破壊しながら生きている人間にはそれがどういうことか理解出来るのだ、文字盤を壊しながら生きる、歪んだレトリックが床に散乱している、足元はいつだって破片だらけだ、だからしっかりとしたソールの靴を選んでおかなければならない、邪魔で仕方がない時は蹴っ飛ばしたりもする、目安が目安のままで居られず、すべての基準になってしまう世界、滑稽なのにどいつもこいつもクソ真面目さ、本気でそれを生きようとしていやがる、足元を爪先で片付けながら、今度は文字盤を捻じ曲げてみるべきかもしれない、と考える、それが文字盤である以上、俺もまた静かに動く針のひとつに成り得るのだから。



自由詩 静かな時計が刻む時間はいつだって死んでいる気がする Copyright ホロウ・シカエルボク 2022-09-16 22:07:24
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