【批評ギルド】『壁』丘 光平
Monk



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他人同士がコミュニケーションを取るときのお互いの距離において、親しさの
度合いに応じてその許容範囲が半径何メートルであるとかいう何とかエリア
だったか、ボーダーだったかいう言葉があるじゃないですか。「コミュニケー
ションをうまくとる方法」なんて本に書いてそうな用語で、なんだっけ。こう
いうのがスッと出てくると、キャーMonkさん博識ー抱いてーってなるわけです
があいにく出てきません。まぁどうでもいいんですが(すごく気になっていま
すが)この作品「壁」を読んでると登場する二人、僕と彼女の距離というのが
なかなかおもしろく書かれております。なんだか複雑でめんどくさい世界にい
ますね、この二人は。けしてふれあうことはないようでいてお互いの存在を消
してしまわない、つかず離れず、お互いを見つめればいいのにじっと壁を見つ
めてますよ。ほんとにめんどうくさいです。こういうこと考え始めると簡単に
は幸せになれません。

しょせん他人事なので二人の不幸を憂うことなく、僕はおもしろく読んだわけ
ですけど特に

> 断崖ぎりぎりに壁はある

のところがおもしろいですね。この二人はそれぞれの世界(街)に生きている
わけなのだが、それぞれの世界は壁で隔たれています。壁一枚向こうが相手の
世界であり、かつそこは断崖絶壁、けして踏み出せない場所です。物理的にお
かしいですけど、そういう空間、僕と彼女のそれぞれの空間が同じ形式で構成
されて、左右対称のように壁を隔てて成り立ってます。
そして彼女の世界に僕がいないか、というとそうでもない。僕自身の本質は彼
女の世界にはないようだが、「現実と世界と事件という細切れの記号」として
は存在してます。その程度に認知できる存在としては「在る」わけです。書か
れてませんが逆もそうなんでしょう。僕の世界ではまた彼女は記号なんじゃな
いか、そうしとこう。そのほうが美しい。
このお話を語っている話者は「僕」のようですが、けっこう全体の仕組み、こ
の世界の原理を知ってますね。お空の上から見渡してます。なので「僕」のよ
うでいて僕ではない。超「僕」みたいな存在じゃないですかね。

んでもう一つ、僕が始まると彼女が終わっちゃう、この輪廻みたいなところで
すがなかなか難しいメカニズムですよ。もう常識は放っておいて勝手に解釈し
ますが、これはリセットスイッチがありますな。僕が始まる、というのは何が
「始まる」かって話で、思うに彼女のことを記号ではなく本来の彼女として掴
む=僕が始まる、ではないか。でも本質を掴んだ瞬間に彼女は終わってしまう。
本来の彼女は滅んじゃうわけです。それを知った僕はリセットされてまためん
どくさい記号の世界に逆戻りです。帰ってくる彼女は記号としての彼女なわけ
です。もちろんこのリセットループは彼女の世界でも同じように行われている。
うむ、これがいいや。
しかしほんとに面倒ですね。

そういえば僕は昔、女性恐怖症だったらしいです。親が言ってました。小さい
頃、近所に乱暴な女の子がいて、まぁ乱暴っていっても今思えばおちゃめない
たずらだったのかもしれないけど、それを苦に僕は女性恐怖症になったらしい
です。それはもう、Monkさん抱いて!キャー、なんて来られても全速力で逃げ
出していたわけです。そんな記憶もございませんが。
結局、僕の女性恐怖症はその後登場するやたらフレンドリーかつ活発な女の子
に長い坂の上から捨てられていた乳母車に乗せられてふもとの茂みにダイヴし
たことによって氷解したわけですが、そんな話をここに書いている場合ではな
い。つまり、この作品に書かれている面倒なメカニズムが完成してしまった世
界において、それを氷解させるきっかけのようなものが必要なわけです。嫌で
しょ、こんなのがずーっとは。
その氷解の兆しは作品の最後に書かれています。

> レモンの酢えた香りが流れた

ここからです。いいですね。救われた気がします。いくらなんでもずーっとあ
のまんまじゃね。

全体はわりと観念的な文章でなんですが、それでも一貫するロジックがあるよ
うですし、読みやすいんじゃないですかね。そしてこの締め方でお話としての
おもしろみが加わったと思います。体温が感じられるようになった。最後の一
文は、僕なんかはちょっと笑いましたね。そこまでの、どちらかといえばシリ
アスなイメージ世界から一転して、Fight!って感じで。次号から急展開!って
感じで。



散文(批評随筆小説等) 【批評ギルド】『壁』丘 光平 Copyright Monk 2005-05-04 03:20:00
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