強い雨の後の曇天
山人

 傘を差しても濡れてしまうほど豪雨だったが、今は止んでいる。風は緩やかに吹いて、となりの籾乾燥施設傍の、クルミの小径木に巻き付いた葛の葉が揺れている。ヒヨドリたちが鳴き始めたから雨は当分降らないのかもしれない。
 六月初旬の週末あたりから家業は忙しくなり、先週あたりまで続いた。花愛で登山のピークが終わり、山は閑散とし、我が山小屋も閑古鳥たちが棲みつき始めた。そのタイミングで、コロナ禍の再燃となったのである。コロナがもうちょっと早いタイミングでやってきたなら、家業へのダメージはかなりあったのではないかと思うのである。
 十万キロを超えた八人乗りの愛車も車検の為、今は修理屋に入っているが、予想通り修理代は高くつくそうだ。車を持たない登山者をせっせと送迎し、タイヤやブレーキは大きく摩耗し、各パーツの交換も多々しないといけないとのことである。かといって、白タクになってしまうほどのあからさまな送迎代を徴収するわけにもいかず、まさに貧乏性なのだなと思う次第だ。故に今は修理屋の代車を借りているのだが、これがまったくの自家用車で、何かを積めるスペースはほぼ無い。拠って土日の登山道整備予定も取りやめとした。
 そういえば、随分自分のための休日は無かったのだ。先々月末から休んでいなく、今日明日と二連休することも考えている。なにをするかは決めていないが、ブックオフで何か本を買いたいというのと、使い古しの音源があればと思っている。この間、ブルーススプリングスティーンやボンジョビを求めたが、ボンジョビはがっかりさせられた。今度はアイアンメイディンなんかを見つけてみようか。毛色の違うものとして、クラシックのビバルディ―とかがあると嬉しいが。あとは、作業用品店でヘルメットのフェイスガードを入手したいと思っている。かつて登山道整備中にカッターの破片が眼球に入ったことや昨年の晩秋に木片が眼球に激突したりと、かなり失明の危機にさらされたことがあったのである。生命の危険のみならず、とりもどすことの出来ない事故の予兆も多く経験しているので、出来る限り予防していかなければならない。また、可能なら、映画の「峠」も見てみたい。封切されて久しいので、現在上映中なのかもわからないのだけれど。
 毎日が日曜日。そんな生活が送れる時が私にあるのだろうか。そう思うのである。おそらく五体満足ならば、あるいは多少不満足部分があっても、働いているのではあるまいか。働かざるを得ないだろう。来年から年金の満額は手に入るが、十万円を僅かに超えるレベルの金額でしかない。山小屋の維持に経費は最低限掛かる。しかし、長く働くという選択肢ならば労働の量を落とさないといけないと思うのだ。今までのように遮二無二質より量的な仕事量を構えるのではなく、たとえば登山道整備などは誰かに一定量流すことも視野に入れないといけないだろう。
 土砂降りの後の晴天が望ましいのはわかるが、自分には高いレベルだ。せめて、曇天くらいな結実を願っているのだが…。


散文(批評随筆小説等) 強い雨の後の曇天 Copyright 山人 2022-07-23 07:43:21
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