はじめに昔話で恐縮ですが、二十年以上前、パソコン通信のニフティサーブ時代の『現代詩フォーラム』でのことになります。
フォーラムに投稿された他人の詩句を並べ替えて、そのまま自分の詩作品として投稿した方がいて、許しがたい行為であるとしてフォーラムの多くのメンバーからいっせいに非難されるという出来事があり、私は自らの詩に対するスタンスから擁護(そんなつもりはなかったのですが、論争の成り行き上そうなってしまった)側に立って持論を展開したのですが、全く理解を得られず、賛同者もなく、そもそも議論の発端となった投稿者も沈黙してしまい、私がひとり袋叩き状態になってしまったという悲しい思い出があります。
そのとき書いた私の主張の一つはこちらのフォーラムにも投稿しているのですが
『我も行く人秋のくれ』
https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=49926&filter=usr&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26hid%3D16
(ただしこれは短縮版で全文は私のサイトにアップしています
http://pesyanko.itigo.jp/wiki/index.php?%E6%88%91%E3%82%82%E8%A1%8C%E4%BA%BA%E7%A7%8B%E3%81%AE%E3%81%8F%E3%82%8C)
その中で私が詳細を知らないまま嶋岡晨氏の著書を孫引きするカタチで触れている山本太郎による盗作事件があります。
戦後詩におけるスキャンダルとして有名な事件で、今から40年ほど前、当時、日本の現代詩を代表する詩人の一人と目されていた山本太郎が学生時代からの知人である生野幸吉の詩から大量にかつそうとうの年月に渡ってその詩句を自分の詩作品に流用をし続けていたという事実があり、ついに生野から告発されるに至るという事件です。
詳しいことを知りたかったのですが、随分と前のことでもあり、気にはなりながらも長らくそのままになっていたのが、今回、国立国会図書館の『個人向けデジタル化資料送信サービス』(
https://www.ndl.go.jp/jp/use/digital_transmission/individuals_index.html)という新たに設けられたコンテンツのおかげで、騒動の舞台となった当時の詩誌『詩学』(1978年9月号~11月号)も閲覧が可能となり、その全容を知ることができました。
このサービスは『国立国会図書館デジタルコレクションで提供している資料のうち、絶版等の理由で入手が困難であることが確認された資料、約153万点(令和4年1月時点)』が自宅のパソコンやタブレットで閲覧できてしまうという素晴らしいサービスです。なおサービス利用のためには登録(無料)が必要です。
詩関連でも入手困難と思われる多くの詩集、詩論、詩誌が登録されており、今はなき詩誌『詩学』も1948年1月から2000年12月までの発行分を全て読むことができます。
山本太郎に対する生野幸吉の告発は、
山本太郎の盗作について(1)/生野幸吉(『詩学』1978年9月号)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6065380/41
山本太郎の盗作について(2)/生野幸吉(『詩学』1978年10月号)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6065381/35
山本太郎の盗作について(3)/生野幸吉(『詩学』1978年11月号
)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6065382/37
と3号に渡って掲載されており、それも山本、生野双方の詩句の類似点をいちいち具体的に示しながらというもので、まずその量に圧倒され、そして山本の盗用の仕方の芸の無さというか、その生のままの流用にびっくりします。
記憶に残っていた生野の詩句を無意識に自分の言葉だと勘違いして書いてしまったというようなレベルではなく、生野の詩集を横において最低限丸写しにはならないように注意をしながら(いや完全に丸写しの部分もあるのですが!)あいだに言葉を挟んでいく、といった作業をしたとしか考えられないような流用の仕方です。
このことに関して他の詩人たちがどう反応したかは郷原宏、佐藤三夫、一色真里そして当の山本太郎の各氏が『詩学』誌上で意見を述べているのを読むことができます。
詩的良心をめぐって 郷原宏(『詩学』1978年9月号)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6065380/49
詩における模倣の問題/佐藤三夫(『詩学』1978年11月号)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6065382/21
詩誌月評二種類の沈黙/一色真理(『詩学』1979年3月号)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6065386/24
初期詩篇のころ<生野幸吉との出会い>/山本太郎(『詩学』1979年9月号)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6065392/34
山本太郎の文章は騒動からちょうど1年後に掲載されたものであり、題名のように自らの詩歴を回想するという形の中で生野との交流と影響を語るという態度で、これは何と言うか、謝罪でもなし反論でもなし、なんのために書いたのかわからないような調子の低い文章だなという感じです。
一色氏の文章は「生きるべき姿勢を常に探究してきた詩人なら、その場限りの表現にメッキをかけるために、他人の詩語を盗もうなどとはしないだろう」といった調子で山本を告発するもので、私にとってはなんだか熱量が高すぎて、正直に言うと私はこのような文章が苦手です。この熱量を支えているような詩に対する態度をまっすぐに受け入れるには私はひねくれすぎてしまっているのかもしれません。
一色氏の批判は社会的な倫理観からは理解されやすいものであり多くの人は同意することだろうと思います。しかしその倫理観がそのまま詩の価値観に横滑りしていく様子は私としては常々疑問に思っていることであり、思えばニフティサーブ時代の『現代詩フォーラム』での論争でも私が言いたかったのはこの点なのでした。
もっとも当時の論争では私はほとんど孤立無援の状態に陥り、自分は詩に対する好みと理解力がとても狭くてマイナーなのだ、ということを思い知らされただけでした。
この事件に関してネットなどで少し検索してみると、ずいぶん前のことでもあるのでそんなに多くはありませんが、いくつかの意見は読むことができました。
詩句の盗用はドーピングのようなもの等、山本太郎に関してはほぼ否定的な意見が占めているようです。
これは少し余談の部類になってしまうのかもしれませんが、山本太郎が芸術的エリートである点(父は画家山本鼎。その従兄弟は画家村山槐多。母方の叔父が詩人北原白秋)と安倍晋三元総理が政治的エリートである点を絡めて、そういうエリートの恥知らずな嘘がわれわれを傷つける、という点では同じであるといった趣旨のブログまであり、これが世に言う「アベガー」かと目を見張り、今更ながら安倍元総理を気の毒に思うのでした。
佐藤氏の文章は持論のロマン主義と古典主義の対立構造を前提とした、大所高所からのご意見。
「つまり作品を完全なものへ成熟させることが問題である。作品の価値を個性や独創性において見るのは、ロマン主義的伝統をひくものであって、古典主義の価値観ではない」
佐藤氏の書かれるものは、古典から現代までを見据えた長大な射程距離の視点と教養によるものなので、私のようなマイナーな人間にはついていくのが難しいのですが、しかし、勉強にはなります。
なお佐藤三夫氏の詩論は現代詩フォーラムでも読むことができます。
『佐藤三夫 イタリア特集』
http://po-m.com/forum/sato/index.htm
郷原氏の意見は「オリジナルな詩人とは自分の使っている言葉が他人からの借り物にすぎないことをよくわきまえている詩人のこと」であり、今回の問題も「倫理の次元からひとまず離れて詩の方法の問題として、あるいはせめて詩語の継承の問題として論議が深められていかなければ単なる詩壇ゴシップに終わってしまう」「詩以前のモラルの問題を詩の問題として提出した時、論議の低迷は避けがたかったといえる」と論じ、山本に対して、なぜ開き直って盗んだ俺の詩の方がすぐれている、と言わないのか、言えないのかと一色氏などとは全く逆の視点から批判を加えています。
いや、これは私の意見に近いというか、右に同じですという感じです。
けれどこの郷原氏の文章が生野の告発の第一回目と同じ号に掲載されていることを考えると、その後、このスキャンダルが拡大してゆくにつれ郷原氏のような意見は脇に追いやられていったことだろうと我が身の体験に照らし合わせて想像するのですが・・・。
最後に『個人向けデジタル化資料送信サービス』で読める山本太郎、生野幸吉の詩集、詩論をあげておきます。
この他にも多くの山本太郎の編著書と生野幸吉の翻訳書を読むことができます。
『歩行者の祈りの唄』山本太郎著 書肆ユリイカ、1954年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1354138
『ゴリラ』山本太郎著 書肆ユリイカ、1960年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1359605
『単独者の愛の唄』山本太郎著 東京創元社、1961年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1359651
『糺問者の惑いの唄』山本太郎著 思潮社、1967年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1362643
『詩のふるさと : 山本太郎詩論集 』山本太郎 著 思潮社、1965年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1361615
『飢火』生野幸吉著 河出書房、1954年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1354073
『抒情と造型:生野幸吉評論集』 生野幸吉著 思潮社、1966年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1672801