指先の輪廻
ホロウ・シカエルボク


いつしか俺の血には凝固したガラス片が混じり、血管の内壁を傷つけながら流れて行った、内耳にはいつだって体組織の悲鳴が聞こえていた―低く、呻くような、けれど確かに、それが悲鳴だと感じさせる、声が…感覚が遮断される時間には尚更、津波のように俺自身をも飲み込もうとしたのだ、俺は自分を殴りつけた、目を覚ますまでだ、それはいつ果てるともなく続いた、いまだってそうだ、ともすればいまもそのさなかに居るのではないかと感じさせる瞬間が度々ある、何を見つめているのか、幼いころの内斜視のせいでまったく焦点の合うことのない二つの目、俺の身体は右側ばかりに歪みがある、目玉、唇、肩、骨盤…俺が救いがたいほど偏屈なのはきっとそのせいさ、肉体の歪みが精神に作用するんだ、天秤座のくせにさ―バランスがあらかじめ崩れているんだ、歪みは、歪みを呼ぶ、内奥に、周囲に…俺は始めそれを矯正しようとしたが、どこかでそれが間違いだと気付いた、歪みは、歪みとして語られるべきなのだ、だから俺は、詩を綴り始めた、俺が詩を書き始めると、血管のあちこちに沈殿したガラス片たちが、まるで綴るリズムに乗るみたいにカチカチと合いの手を入れるんだ、それはもう嬉しそうに…その音を聴きながら、俺は思いつくままに言葉を投げ出していく、俺は、歪みを受け入れると決めた時点で知ることが出来たのだ、定規や水平器などの尺度ではない、存在という尺度に…それはどんな異常も在るがままに受け入れることが出来る唯一の尺度だ、それは俺を高揚させた、そして、その真意を知ることに心血を注ごうと決意させたのだ、存在について語るとき、どこにも縛りのないものにならなければならない―文章としての矛盾はどうか大目に見ておくれ、存在とはつまり、好きなように綴ることが出来る言葉だ、奇妙なテキストに従う必要のないほとばしりだ、高揚の正体はそこにあったのだ、そしてもちろんのこと、そこには上限などもありはしないのだ、俺はそれにとり憑かれた、そうして自分自身に深く潜る術を覚え、そして、知り続けてきた、それは言葉にする必要がなかった、身体に刻まれる種類の知識だった、それは高純度の石炭のように熱を放ち続け、次の一行を俺に綴らせる、俺はただ頭を空っぽにして、ディスプレイの前に腰を下ろすだけでいい、あとは、指先が勝手にやってくれる…どんなことにもとらわれてはいけない、俺の指先はその真意を知るだろう、それは寄生植物のように心魂に取り付き、根を張り、神経に沿って身体中に伸びていく、渇いた喉に水を流し込んだ時のように、俺はそれを感じることが出来る、神経にまとわり、骨にまとわり、筋肉にまとわりついていくそれの感触を―そうして俺は、自分の中に流れ続けている歌の意味を知るのだ、どんな偶然でもない、俺は初めからそれを求めていたのだ、洞窟の中で瞬きを繰り返すような日々の中で…ガラス片はいまや血液の成分によって包まれ、もう何をも傷つけることはない、昨日心臓に帰って来た血液がそのことを教えてくれた、俺は歓びの歌を書こうと思う、でもそれを俺の身体は求めていない、なぜなら、すべてが終わったわけではないからだ、俺はまだ新しい一行を書こうとし続けているし、肉体もまだ維持されている、喜びはすべてが終わった後に訪れるものさ、先人たちはみんなそう記しているじゃないか?眠っても眠っても訪れる睡魔の隙間を縫って、俺は内奥の最深部をコールする、それは答える時もあるし、全く答えない時もある、すべては俺のしていることが上手く行っているかどうかによるのさ、俺は長い長いリフレインの中でそのことを覚えてきた、ルーチンではない、その時だけの感情で描かれるべき景色だ、だから、俺は一度書いた景色をもう一度書くことを恐れはしない、それはきっと以前に書いたものと同じ景色にはならないからだ、ほんの少しの明暗や、ほんの少しの温度の上下、あるいは、そこに至るまでの様々な条件の違い、そんなものが俺を掻き乱し駆り立て続ける、なにもない日々のある一点で爆発のように広がる、俺は血眼になって―絵具の代わりにあらん限りの言葉を塗り付けていくのさ、言葉は色と一緒だ、混ぜ具合によってはまったく違った印象のものが出来上がる、俺は、過去に残して来た無数の言葉がすべて含まれた新しい詩を書く、そうして、その息吹を取り込んでまた先へ向かう力を得るのだ、意識的と無意識的、その狭間に立ちながら、いまはどっちに居るのだろうと考える、その境界は年々曖昧になっていく気がする、それはやがて必ずひとつの世界になるだろう、俺はもう知っているのだ、だって俺は、自分の歪みを知り、それについてずっと目を凝らしてきたのだもの…見つめ続けた世界の先に新しい色が見える、あれに辿り着くのはどれくらい先になるだろう、もしかしたら、知らないうちにその先へと進んでしまうかもしれない、そして俺は、あれはどこに行ったのだ、と訝るだろう、そうしてまた、俺の指先は真実を求めて激しく動き出すだろう。



自由詩 指先の輪廻 Copyright ホロウ・シカエルボク 2022-07-13 21:42:04
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