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マリファナは (嫌い)
マリファナは (好き)
好き、嫌い、好き、嫌い・・・マリファナ占いよくやりましたね。子供の頃。国
分寺あたりじゃよくやってましたよね。こんなパンチのない書き出しで始まっ
てますけど、正直、マリファナが嫌いなんだなぁくらいしかわかるところはな
いわけです。文章をそのまんま読んで受け止めると。僕がもし小学校の先生で、
松崎貴子氏が生徒だったら放課後居残りですよ。「ふざけないでちゃんと書き
なさい」って。ふざけてるわけじゃないのに!でも子供の心は大人にはわから
ないわけです。
なんだかこの作品はノンフィクションくさいです。始発電車に乗って、ぼ
けーっと吊り広告眺めてるような感じです。この吊り広告、いつ誰が付け替え
てるのかなぁ、夜中に脚立ひきずったおっさんがやってんのかなぁ、と思うわ
けです。けっこう良い天気の日だと「ああ俺はこの瞬間、ダメな部類の人間か
もなぁ」と思ったりもするわけです。
作品のイメージはそんなよれよれの背広ではなく、サイケデリックな、原色で
塗る!って感じですがそのサイケな風景は脳内のもので、それを端から眺める
第三者の目からはごく平凡でちょいダメくらいの風景に映ってることでしょう。
こういう脳内イメージは自分という枠を隔てて内部に展開されているもので、
その内部と外側を分け隔てるもの=自分なのですが、自分自身が「今、その境
目にいるな」と自覚することがあります。その境目のところに腰掛けて両方の
風景を眺めている感じです。主観と客観を同時に展開している感じ。なんつー
か、こういう作品のこういう文章はその境目に腰掛けて書かれてるように思い
ますな。ありていに書くと虚構と現実の融合であって、しかしどっちが現実で
どっちが嘘だと言うのかね、と開き直るスタンスでもあるのですが、この作品
を一番楽しめるのはどうも作者自身ではないかと思いますね。この作品のイ
メージが展開している瞬間に自分がいる位置の奇妙さ、というのが興味深いん
だと思います。
僕らのような第三者から見るとピンと来ないのも当然なんですけどね。マリ
ファナじゃなくてもいいんですが、例えば酔っぱらいハイになってる人を眺め
てても別にこっちまでハイにはならないよね、ってところです。
ただワタシノ・セカイニ・ヨウコソと招き寄せられるような部分というのが少
しあって、最後に「あなた」と呼びかけられてる感じもしました。増殖する
舌ってのがピンクで艶めかしくて、それを見つめている話者の瞳ってのにふら
ふらっと誘われるような。ほんの少しなんですけど。
単純に言葉の威力だけだとそのくらいですね。「やばい、もってかれる!」て
ところまではいかないですね。先に書いたように実際の風景は普通っぽいので、
こっちにも余裕がありますし、この作品自体、そんな「圧倒する」ようなマ
ジックを仕掛けてきてるわけでもないのでしょう。ちょっと煮え切らないと思
いつつも「練って 落とす」ってところは僕はとても好きですね。機械的な作
業と生々しさがあって。