庭のこと
はるな
咲きすぎておもたい頭を擡げている紫陽花。ばらはとっくに咲き終えて、さっぱりと刈り込まれ、薬を撒かれる。陽をうけて広がってゆくマリーゴールド、日々草、トレニア。階段を降れば日本庭園の水場に睡蓮が浮んで、温室のなかでは羊歯や蘭、ボダイジュが湿った空気を呼吸している。
水は、毎日はあげません。と教わった。丸めたホースをのばし、蛇口を捻ってからいそいで先端を掴みに行く。「土が乾かないと、根が伸びていかないからです」。水を、思った場所へ飛ばせるようになるまでは一週間くらいかかった。
広い庭で働きはじめた。花屋の仕事を好きだったけど、ここでの仕事もとても好きだ。花と、草と、土がある。土に触って、色々なことを確かめる。花が咲ききって枯れていくのも好きだ。蕾が膨らんで、いよいよ咲きそうになるところも。水をあびた植物たちから、ごくごくいう音が聞こえてきそうな瞬間も。
土に植った植物たちが、こんなふうに育っていくのに感激する。新鮮な実感がある。このものが、ここにあるのだという実感に驚き、うちのめされる。でも容赦なく土は乾いてゆくので、立ち尽くす暇もなく、また水を撒き、雑草を抜き、葉を摘み、花殻を摘み、彼ら、彼女らに風を通してやらなければならない。
この春に20センチ以上髪の毛を切って、ずいぶん広くみえる娘の背中を撫でながら、土が乾かないといけません、という言葉を思い出す。むすめに会うまでは、わたしはずいぶん乾いていた。彼女から底なしの愛をもらったように思う。思うだけの量愛するなんてことができるだろうか。植物たちとは違って、私たちには言葉があるのに、そのせいでずいぶん物事が複雑になるような気がするのだ。
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