パンフレット
末下りょう

映画を観に行くとパンフレットを買う。パンフレットを買うために映画を観に行くこともある。小さい頃に家族で映画を観に行くと親が買い与えてくれていた名残りだと思う。今時パンフレット? お金もったいないじゃんと言われたりもする。ぼくからすればドリンク代やスナック代のほうがもったいない。昔、思い入れのあるパンフレットを勝手に売られてからはコソコソと収集を続けている。レコード収集やスニーカー収集みたいにカッコのよい趣味とは言えないけどなかなかやめられない。

劇場用パンフレットは日本独自の文化らしい。日本の映画パンフレットは完成度が高く世界中にコレクターがいるそうな。ぼくは親が若い頃に買ったパンフレットを許可なく自分のものにしていて、こりゃすごいと思ったものはビニールに入れたりしてコレクターの真似事をしている。一時期は映画パンフレット専門店で欲しいものがあれば購入していたけれどキリがないのでやめている。
上映前の座席でパラパラとパンフレットを眺めながら気分を高め、細かい説明文は後回しにして雰囲気だけを掴む感じで写真を見たり太字の煽りコピーだけに目を通す。
結局本編そのものが残念なものでもパンフレットは分け隔てなく保管する。残念な映画のパンフレットだからこそ愛着が湧いたりもする。本編観賞後はパンフレットに掲載されているライターや評論家のコラム、関係者のインタビューなどを読み、よくこんなつまらん映画を誉めれたなと言葉の力に感動することもある。

ただ近頃は映画館に足を運ぶ回数が減少傾向にある。おっきいスクリーンはおっきいオッパイみたいに迫力あって好きだし、小ぶりのスクリーンも小ぶりのオッパイみたいにスマートで好きだし、もろもろの劇場の雰囲気も大好きだけど、コロナのことも相まって部屋で寝そべりながらポチッと観れるものの誘惑になかなか抗えない。でも部屋でポチッとだと映画館に足を運んだときのような独特の満足感はなかったりする。映画館だと上映作品がつまらなくても余り後悔しない。むしろパンフレットを小脇に抱えて達成感すらある。ぼくはこんなつまらん映画をわざわざ観にきてご丁寧にパンフレットまで小脇に抱えて家路につくのだという誇りすら感じる。でも家でポチッとなものが異様につまらないと何故か異様に後悔する。途中で観るのをやめることもある。変な罪悪感を持つこともある。映画館で途中退場した記憶はあまりない。価格の問題でもない気がする。

近々劇場用パンフレットも完全になくなるという噂。おまけに好きなミニシアターもガンガン閉館していく。このまま徐々に映画館に足を運ぶ回数が減っていっていつか映画館に行かなくなりそうだなとかダラダラ考える自分にも少々むかつく。仮にパンフレットが廃止されるとしてもそこはグッと堪えて映画館で映画を観る歓びを自分から捨てないようにしたい。
開演ブザーの音や立ち見客、スクリーンの前で遊ぶ子供たちの大きな影は時代とともに消えていってるけれど変わらないこともある。スウッと暗くなるシアターに生まれるひそひそ話や恋人たちの物音、背の高い人がドカッと前に座ることや隣の人がいいところでトイレに立つこと、あちこちでポップコーンやジュースを飲み食いする音、駄々をこねる子供や誰かが大声で笑ったりしくしく泣いたりイビキをかいたりするそんなエモーションのなかで映画を観る苛立ちや歓びを死ぬまで味わい尽くしたい。それはパンフレットを集めだした頃のぼくやあの頃の両親がぼくに教えてくれたことでもある。


自由詩 パンフレット Copyright 末下りょう 2022-06-22 14:13:44
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