夜明け前を歩く
山人

 
 十二月から三月いっぱいは無人駅の除雪作業員として、ごく早朝の勤務があり、あまり深い睡眠を得ることができなかったが、四月に入りそれがなくなり、割とよく眠れているのではないかと思う。
 家業、山林仕事、無人駅除雪勤務、この三つの職種が一年のサイクルとなった。かなしいかな家業は今では片手間となりつつある。体力の低下とともに、これらのバランスを再考しなければならないということも考えなくてはならない、などとふと考えることが多くなってきている。なにか、ふと、結論を急ぐわけではないが、思考散歩するタイミングとして、ぶらりと表を歩くことがある。

 夜明け前が好きである。夜があけてしまうとすべての正体が丸見えとなり、比喩のまったくない詩のようでもある。星がまだ空にあるとき、特に光ってるのは金星で、その後、分刻みで明るくなりはじめる。俗世界のない時間、自分の中に帰る時間帯、それが夜明け前であると確信している。長年生きてきたうえでの結論なのだが、この時間帯は、すべてが自分の為だけに存在するかのような感覚になるのである。なによりも、これから夜が深まるのではなく、夜が明けていくという確かな未来が存在するからである。白みはじめる瞬間は実は刹那である。
 朝、四時を少し回ったころ表に出て歩き出す。山村では人家を過ぎると外灯はない。光源は星と、出ていれば月くらいだが足元を照らすべく灯りはない。闇であっても慣れるとあたりの様子が幾分わかってくる。それと同時に聴覚が鋭敏になり、水の流れる音が聞こえ始める。百メートルほど歩くと左手に川があり、五〇年前に建設された砂防ダムから落下する水音が大きく聞こえてくる。まだ夜が明けないうちなのに、なぜか鴨が頭上を鳴きながら掛け飛んでいることが最近目立っている。川の中の虫でも啄んでいる最中に私の存在を知って飛び立っていったのであろうか。自然界の生きもの達はそうしてわずかな時間を利用し、食餌し生きているのだ。古い砂防ダムを過ぎると、大きな山容が見えてくる。二〇〇名山の守門岳である。猛禽がこれから飛び立たんとするように肩を怒らせて翼を広げる瞬間のようにそびえている。
 二〇一九年四月、大原スキー場は営業休止となったが、事実上の閉鎖であった。動くことのないリフトが雪に埋もれ、まだ古くはないスキーロッジが傍にある。彼らはその運命を呪うでもなく、ただの無機物として生きているのである。生命はないけれども、生を放出し、あらゆることに達観した日常があったのであろう。そこで、客のいないリフト搬器の雪を取り憑かれたように除去していた頃の労働が懐かしい。不毛ではあったが、それで糧を得ていたという現実が脈々とあったのである。
 スキー場から少し離れたところに佐々木さんの家がある。わずか一軒のために冬場はずっとそこの路線は除雪がされているのだが、冬場だけは一車線通行だった。それが増幅され、道がひらけていた。巨大な雪壁はすでに消滅し、おだやかな道が佐々木さんのところまで続いていた。
 折り返し地点からは穏やかな下りとなる。独り言を言いながら妄想にふけることがある。あり得ない事柄を現実のように話してみたり。
 奇跡はないわけではないと思う。現に一命をとりとめたこともあった。それは奇跡以外考えられなかった事例である。運が悪くて死んでしまった人がいる中で、死にそうになったけれども奇跡的に助かったという経験を体感した。なぜ、あの時に私は死なずに居たのだろうか、と思うことがある。それは、まだこれからあるかもしれないいくつかの奇跡のための生であったのではないだろうかと。そう思うことで日々救われることも少なくない。
 



散文(批評随筆小説等) 夜明け前を歩く Copyright 山人 2022-04-09 06:11:22
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