故郷の記憶
番田 

僕は昔のことを良く思い出す。駅前に、ツタヤができたばかりの頃のことだとかを。僕は良く、CDを借りに行っていたけれど、今はもう、店は駅からは離れた場所にあって、僕の行っていた同じ場所には無いようだった。高校生になった頃には良く行っていた場所の一つで、知り合いの女の子がそこでアルバイトをしていた。踏切の近くにあったパン屋のベーコンのパンを、僕は今でもよく覚えているし、スーパーの隣のパン屋のやきそばパンの味もよく覚えていた。僕の忘れたことといえば、最近のことばかりなのかもしれないし、そういった昔のことばかりを探して生きているような気がする、例えばこれはあのパンと同じ味で、これは違う味だというふうに。今感じていることを未来の僕は思い出すことはあるのだろうか。でも、例えば前に住んでいた場所で食べた中華料理の味だとかは思い出すことはできなかった。そんな風に、やはり、故郷で見て触れて感じたものは、自分の原点になっているのだということは、間違いないような気がする。中学生になった僕にいた三人の友だち、でも、彼らとは今は連絡はとっていないのだけれど、彼らと比べてこれから関わる人がどんな人であっても、思い出すことはもう、あまりないのだと思う。そう考えると、人生というものはなんとなく運命づけられているようでいて、不思議なものである。



散文(批評随筆小説等) 故郷の記憶 Copyright 番田  2022-03-29 00:49:37
notebook Home 戻る  過去 未来