季節の中のシルエット
番田 


生きていることだけが感覚を埋めていくような気がする音楽のように、今は聞こえていた。そして、電車の過ぎていく光景と、駐車場から姿を消した車の形態のそこに存在していたシルエットを目を凝らすことで、見ていた。姿を消したCDショップの姿の、きらびやかな内装を思い出すようにして。そうではないのかもしれない、思い出すことによっては得られないものを、現実世界で演じることで確かにしていくことが必要なように思えた。あそこの子供の頃とまるで同じ、思うことに憧れるだけで、行動に移せないだけの、部屋の光景の色や形を思い出させられてしまっている、可愛そうな死体なのである。


木々は今は存在している、まだ、今はその枝に色や模様をつけないままで風に吹かれているように見えた、色あせた標識の記憶に残っていた形状であるように思える、ラブホテルの空間の手によってほどこされたセメントの模様のような渦を巻いている。そうしていたことを考えていると、先日の地震の記憶が蘇り、恐怖心に打ち震えていた午後の日差しは何も意味を持っていない若い頃に見ていた路地の景色みたいに見えた。僕は何かを知っていくのだろう、趣向によって、味や色、形を、海の青さや香りを、感じ取ろうとすることで歩いていく、道のように思っている。


日々は何も残すこともなく過ぎていくようだった。何か薄い色だけを感じ取っているように思える、池袋の人の溢れ出した通りのどこかで、昔の思い出が、バスや電車で嗅いだことのあった匂いのように思えた。乙女ロードに出てきたバッジをバッグに貼り付けた宗教的な雰囲気の女の群れを見ていたのだった。秋葉原の路地のように、本もゲームもなくなっていく時、歩いている彼女たちの行き場所は、ネット以外のどこなのだろうと心配だった。僕はそうすることはなく、ブックオフで漫画を立ち読みして、CDを買って、出てきただけだったのだが。




散文(批評随筆小説等) 季節の中のシルエット Copyright 番田  2022-03-19 20:59:28
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