vagabond
ホロウ・シカエルボク


誰かの手から零れて、真夜中の街路で砕けたウィスキーのボトルから流れ出る僅かな酒は、病巣に塗れた誰かの喀血を思わせる、ささやかな色合いはいつだってほんの少し、呪いみたいな印象を残す、お前みたいにせせこましい真似なんか出来ないさ、俺は生命の、可能な限りの深淵まで潜るのに忙しい、蚊の鳴くような声で鳴くのがそんなに誇らしいのなら、死ぬまで続けていればいいさ、瓶の欠片を拾い上げて、ブロック塀に引いた細いライン、今日の些事がそこに飲み込まれていく、へまをして指先に微かな傷がついた、血が渇くまで舐めてそれきり忘れた、ドボルザークの管弦楽曲のような夜空、夜明けが狂気で満たされるだろうことはもう判っていた、どこかの店の裏からどぶ鼠が駆け出していく、太り過ぎた猫がきっと逃げられるだろう追跡を続けている、路駐した車が風の日のゴンドラのように揺れている、中でなにが行われてるかなんて確かめてみるまでもないさ、見るもおぞましいエンターテイメント、安易さだけを追い求めるやつらは醜さに気付けないものだ、口をついで出た鼻歌はディランだったような気がする、疲れ果てた売春婦がアパートの玄関口で死んだように眠っている、そのすぐ近くのナイトクラブの窓からは、プレスリーがのどかな時代の反抗を歌っている、ロックンロールは死んでしまった、そんなことを言ってるのはいつだってただのオーディエンスだ、自分の力でその先を見ようとするものたちにとっては時代なんてお構いなしなんだ、ダイナーに潜り込んでホット・コーヒーを飲み干す間だけすべてを忘れた、ダイナーの大きな窓は街の哀しみを語るみたいに曇っていた、そんな窓にこびりついた蒸気の一粒一粒を数えていると、ジョー・ストラマーの叫び声が耳の中でこだました、あいつの声はあいつの人生そのものだった、そんな風に歌えるやつなんて数えるくらいしかいないだろう、ボーカリストは音符の位置ばかり気にして声を出す意味を忘れてしまった、言葉の聞こえない、お行儀のいい音楽ばかりだ、コーヒーを飲み干してしまうと、温まったせいか睡魔が襲ってくる、店で眠るわけにはいかなかった、コインをテーブルに置いて店を後にする、寒さでほんの少し目を覚ます、人生なんてきっとそんな繰り返しだ、空はほんの少し白くなった気がした、だけど夜明けまでにはまだ数時間ある、俺はマイケル・J・フォックスの映画を思い出す、明るく楽しいマイケルが好きな連中には散々叩かれたあの映画だ、原作とはずいぶん違うものになってた、そりゃあ認めるけどね、でもそうじゃない映画なんて果たしてあるのかな?だけどあの物語は、マイケルには凄く似合っていたよ、ビデオテープで持っているけれど生家に置いたままになってるんだ、呆けた母親とどうしようもない弟が二人で住んでいる生家にね、気が向いたら一度取りに行くとするか、生きてるかどうかだけでも確かめておかなくちゃな、精神病院に入ってるもうひとりの弟からは時々電話がある、なかなか出ることが出来ないけどね、あいつときたらいつだって仕事中にかけてくるんだ、鍵の掛かる階の、ロビーに置いてある公衆電話からね、自分の、些細な記憶が本当にあったことなのかどうか、確かめるためだけにね、そうして確認が終わるとすぐに切っちまう、その戦いの本質は俺には理解出来ることはない、俺はこんな文章の中にすべてを継ぎ込むことが出来るから、俺はこうすることでいつだって人生をクリアーにしてきたのさ、そう、社会規律やなんかばかりを鵜呑みにして踊る道化にならないためにね、あれは十四くらいのころだったかな、俺にははっきりと見えたんだ、生きているやつと生かされているやつの違いがね、神の啓示のようにはっきりと見えたのさ、だから、十四歳で死んでしまう連中の気持ちがよく判るんだ、それは一見世界が、投げ出したくなるくらいつまらないものに思えるからね、だけど、俺には早くから言葉と、それからリズムがあった、それが望む形に連なった瞬間に、退屈を抜け出すことが出来ることに気付いていたのさ、頭蓋の内側を風が吹き抜けるような、スッキリした気分になることが出来たわけさ、それからきっと、覚えているよりもずっとたくさんの、下らないことや愉快なことを繰り返して、あっという間に歳をとったけれど、年齢が人間を変えることなんてないんだって俺にははっきり言えるよ、だって俺自身がそれを証明しているもの、俺は今だって二十歳の頃と同じ身体つきで歩いているのさ、歳を取ることは老いではない、それはそいつ自身を、より明確にしていく過程であるべきなんだ、見ろ、もうすぐ夜明けがやって来る、白い夜が終わる前に家に帰って、短い眠りを楽しもう、そして目が覚めたらコーヒーを注ぎ込んで、在るのか無いのか判らないものの為に脳味噌に火を入れるんだ。



自由詩 vagabond Copyright ホロウ・シカエルボク 2022-03-05 16:05:58
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