詩の日めくり 二〇一九年六月一日─三十一日
田中宏輔
二〇一九年六月一日 「揚子江」
40代初頭までよく行ってた大阪の梅田の発展場に、北欧館というゲイ・サウナがあった。いまでもあるらしいけれど、北欧館に行くときには、北欧館の近くの揚子江というラーメン屋に行った。かならず行ってた。ラーメンが塩味であるのだが、菊菜がのせてあって、ラーメンの味ととてもよくマッチしてた。めっちゃおいしいラーメンだったのだ。
二〇一九年六月二日 「中川哲夫くん」
中学生のときの同級生に、中川哲夫くんというのがいて、みんなからナーちゃんと呼ばれていた。京都府の水泳大会で優勝するくらい優れた水泳選手だったのだが、松田優作のような風貌で、ぼくの好みのタイプだった。ただそれだけだけれど。
二〇一九年六月三日 「百年の孤独」
マルケスの『百年の孤独』60ページほど読んだが、まったくおもしろくなかった。なので読むのをやめる。かわりに、カヴァーがかわいらしかったので、本棚に残していた、M・W&W・ウェルマンの『シャーロック・ホームズの宇宙戦争』を読み直す。『族長の秋』はよかったけど、『百年の孤独』はダメね。
二〇一九年六月四日 「伊藤浩子さん」
伊藤浩子さんから、詩集『たましずめ/夕波』を送っていただいた。頭注が本文にも匹敵するくらいの変わった構造で、おもしろいものだった。書くということに集中されていることがわかる結構だった。うらやましいとも思った。
二〇一九年六月五日 「痴漢」
これまでの人生で、痴漢に遭遇したのは10回ほどだろうか。男ばかりでなく女の痴漢もいた。さいしょの記憶は小学生の5、6年生のときのことだった。父親と弟の3人で映画を見に行ったときのことだ。映画館は満席で、立ち見をしていたのだけれど、父親の横に立っていたぼくの尻をさわってくる手があって、びっくりした記憶がある。そのときは、ぼくは父親に黙っていたのだけれど、どうしてだか自分でもわからない。数分で痴漢は離れていったけれど。二度目の経験は、中学の一年生のとき、友だちとふたりで歩いていたときに、横にすっときて、ぼくのお尻をなでまわすおっさんがいた。ちょっとのあいだのことで、ぼくは友だちに告げられず、黙っていた。後ろからつけられていたのである。3度目の痴漢は、女だった。おばはんだった。ぼくが大学生のときのことだ。本屋で本を見てたら、横に立って、ぼくのチンポコのあたりをさわってきたのである。これもまた、ぼくはびっくりして場所を移動したのだが、二度ほどつけまわされた。4度目の経験は、ぼくが同志社国際高校で教えていたときのことで、ぼくが30歳になるかならないかのときのことで、通勤電車のなかで、満員だったのだけれど、相手の痴漢は、どうやら同志社の学生らしく、かわいらしい顔をした青年だった。ぼくのことがタイプだったのかな。ぼくの股間をさわってきた。ぼくはさわられるまま黙っていた。気持ちよかった。5度目は、ぼくがやはり30代のはじめころに、学校からの帰りに通勤電車に乗っているときに、学生に横に坐られて、背中をさわられたことかな。まわりにわからないようにさわられた。ぼくは席を変わらず、さわられたままだった。6度目から10回目までの痴漢は、ぼくが40代のときに、地下鉄に乗っていたときに遭遇した、同じ子で、ぼくより10才ほど若くて、坊主頭のかわいらしい男の子だった。ぼくが電車のなかで、かわいらしい子だなと思って見つめていたら、その子の方から、ぼくのそばに寄ってきて、ぼくの股間をさわりはじめたのであった。気持ちよかった。なぜ4、5回くらいで終わったのかと言えば、恥ずかしい話で、さいごのときに、あまりに気持ちよかったので、ぼくが声を出してしまって、まわりに変な目で見られたからである。それ以来、その子は電車のなかで会っても、ぼくのことを無視するようになったのであった。残念。
二〇一九年六月六日 「爪を切る」
爪を切るのも面倒だが、いったいいつくらいから爪を切るようになったかというと、いまネットで調べたら、弥生時代からだそうだ。道具がつくられていたそうだ。それまでは、切られていなかったらしい。野生動物が爪を摩耗させていたように、人間も爪を摩耗させていたようだ。道具を使うようになり、爪を切る必要性が出たみたいだ。ちなみに、その道具とは爪磨と呼ばれる石で爪を削っていたらしく、ハサミを使うようになったのは、江戸中期あたりで、それまでは、短刀やノミなどで爪を削っていたらしいです。
二〇一九年六月七日 「ジャック・ヴァンス」
おとついから、ジャック・ヴァンスの『冒険の惑星』シリーズを読んでいる。二日で、第一巻を読み終わった。読んだ記憶があったが、半分くらいまでのところまでだった。つづきを読んだ記憶がないから、きっと半分くらいのところでやめたのだろう。やめたくなった気持ちもわかる程度のSF小説だった。
二〇一九年六月八日 「蟻を食べる」
子どものとき、たぶん、小学生の3、4年生のころのことだ。蟻を食べたことがある。読んだ本に、アフリカでは食べる民族もいるって書かれてたからだ。ものすごく苦くて、吐き出したが。つつじの花の蜜は、おいしかったことを覚えている。中学生の一年生くらいで蜜を吸うのをやめたと思うけれど。
二〇一九年六月九日 「草野理恵子さん」
草野理恵子さんから、同人詩誌『Rurikarakusa』第11号を送っていただいた。草野さんの作品、「温泉治療」と「うみは馬として」を読んだ。共通する書き方といったものがない。多様な書き方をされる方だなと、あらためて思った。詩でしか表現できない表現なのだなとも思った。
二〇一九年六月十日 「桜餅」
子どものころ、桜餅が大好きだった。ただし、葉っぱは、子どものころは食べなかった。大人になって、葉っぱも食べるものだということを知ってから食べるようになった。食べるものだと知らなかったら、いまだに、葉っぱを取り除いて食べていたことだろう。
二〇一九年六月十一日 「アヘ声」
まあ、ちがうと思う。そんなに頻繁じゃないから。セックスのときのアヘ声かなあ。このあいだ、相手の子、あんまり声がうるさいから口元、手でおさえたんだけど、思わず、そのまま首を絞めてやろうかと思ったけれど、まだそこまでは自分の性癖を見せてないからやめた。
二〇一九年六月十二日 「夢」
いま、大勢の刑事や警察官が訪れた。母の殺害死体が見つかったという。スパナで頭を殴られて死亡したらしい。ぼくと弟が重要参考人らしく、これから警察に連行される。というところで目が覚めた。母は昨年、癌で亡くなっているので、いったいこの夢は、ぼくになにを伝えたかったのか、これから考える。
二〇一九年六月十三日 「もうひとりの自分」
もうひとりの自分が、いつなにをしているのかはっきりしないというのは、気持ちのいいものではない。聴きたいCDがいくつもないというのは、ひじょうに迷惑なことである。そのCDがあるのかないのか棚を探すのもけっこう面倒なことなのだ。もうひとりのぼくは、CDを売りに行っていたのだ。しかし、ぼやいても仕方がない。もうひとりの自分も自分なのだから。
二〇一九年六月十四日 「考察」
悲しみが物質のようなものだとしたら、こころが2倍ひろくなれば、悲しみの濃度は半分になる。なるべくひろいこころを持てば、悲しみの濃度はかぎりなく薄くなる。無限の大きさのこころを持てば、悲しみはゼロになる。ゼロになるはずだけれど、悲しみの総量は変わらない。そうか。それで、こころのひろいひとは、感情に振り回されることがないんだな。ぼくみたいに感情に振り回されっぱなしの人間のこころは、ほんとに小さいのだと思う。どれだけ小さい大きさなんだろう。
二〇一九年六月十五日 「夢」
注文の多い料理店の学校版の夢を見た。ストーリーは、ぼくもさいごまで見ないとわからなかった。ぼくの知ってる先生も出てきて、びっくり。学校全体が山のなかに写ってて、そこで、めっちゃおいしい給食を朝から夜まで食べるのだ。ぼくら先生たちも。サラダがとくに充実していた。ぼくは、どこでご飯を食べようかと思って、うろうろしてると、突然、KKKのような服装をした連中が、ぼくのいた部屋にたくさん現れたのだった。ぼくと、ひとりの生徒が居合わせたのだけど、場違いだと思って部屋を出て行こうとすると、出て行かなくても良いと言われたのだけど、知ってる先生の声で、「死ね」と言われると、生徒がばたりと倒れ、ぼくが部屋から出ていくと、廊下で、つぎつぎと生徒たちが倒れて行って、ぼくは、ああ、これは、栄養たっぷりしたぼくたちを食べるつもりなんだなって思ったところで目が覚めた。さいしょのシーンは、学校が移って間もなくで、ぼくは何人かの知ってる先生たちと図書館にいた。ぼくは真っ赤な装丁のデュラスの本を借りた。タイトルはなく、まだページもめくっていなかったのだけれど、ほかの先生も借りに行かれて、それは薄い茶色の装丁の本だった。埃がするので見たら、窓のところで工事をしているひとたちがいて、こりゃたまらん、と思って出ていくと、生徒がうれしそうに、トレーに山盛りの野菜とオムレツやなんかを運んでるシーンに出くわして、ああ、ぼくもお腹がすいたなと思い、食堂を探したのだった。
二〇一九年六月十六日 「きみの名前は?」
「きみの名前は?」(ジャック・ヴァンス『冒険の惑星 Ⅳ/プリュームの地下迷宮』3、中村能三訳、72ページ)
来週は、水曜日、木曜日、日曜日だ。
二〇一九年六月十七日 「明日は、靴を買いに行こう。」
明日は、靴を買いに行こう。
二〇一九年六月十八日 「ヴァン・ヴォクト」
ジャック・ヴァンスの『冒険の惑星』シリーズを読み終わった。きょうから、寝るまえの読書は、クリフォード・D・シマックの『都市』に。むかし、『中継ステーション』というタイトルの作品を読んで感銘を受けた記憶がある。表紙もよかったので、本棚に残してある。いつの日にか、読み直そうかと思う。
いや、寝るまえの読書は、シマックの『都市』のまえに、ヴァン・ヴォクトの『宇宙船ビーグル号』を読もう。むかし、ジュブナイルの大型本で読んだ記憶がある。だれかに譲ったみたいで、いま部屋の本棚にはない。シマックのものもそうだが、ヴァン・ヴォクトの『宇宙船ビーグル号』もSFの古典だ。
二〇一九年六月十九日 「夢」
二度寝してたら、すごく残酷な夢を見た。ぼくは大臣で、本を王に贈ったのだが、将軍は敵方の大臣のスパイだった。ぼくが本を送ったことを敵の大臣に報告するために水上をすべる板に乗って進んでいたのだが、うしろから長い棒状のものでつつかれ、怪物に肛門から突き刺され、棒がいったん口から突き出て、それが引き抜かれると内臓が背後に走り、つづけて棒でぐちゃぐちゃにされて、顔面から上半身、下半身と削りとられ、水上に肉と骨が落ちて行った。無邪気な愛玩動物が、女性の将軍のまえを板に乗り走っていて、敵の大臣のところに先についたのだが、大臣と取り巻き達はどうしたんだ、なぜおまえが先に到着したんだ、と騒いでいると、血まみれの板が大臣のところに運ばれて、女性の将軍が無残な死に方をしたことを報告されてびっくりしていた。ぼくのところにも同じ報告があって、いったいその犯人の怪物は何者なんだろうと思っていたら、その怪物は、馬の顔と人間の身体をもつ者で、ぼくが王に贈った本のなかに描かれていた怪物だった。うわっ、ぼくが将軍を殺したと疑われる、と思ったところで目がさめた。生々しい夢だった。女性の大臣はウルトラQに出てきた女性記者の役のひと、桜井浩子さんだった。
二〇一九年六月二十日 「ヴァン・ヴォクト」
ヴァン・ヴォクトの『宇宙船ビーグル号』を読み終わった。ぜんぜん古くない。SFの古典なのに、古びていないのだ。作者の力量だな。
二〇一九年六月二十一日 「短詩」
「パタ」「パタパタ」「パタ」「パタ」「パタパタ」「パタ」「パタタタタタ」「ケタ」「ケタケタ」「ペタ」「ドュルンッ」「ドュルドュルンッ」「ブル」「ブルブル」「ブルルルルル」
二〇一九年六月二十二日 「考察」
たくさん恋をした。たくさん傷つけた。たくさん傷つけられた。「考えよ、たえず考えるんだ。いろいろなことを。」(レイ・ブラッドベリ『浅黒い顔、金色の目』一ノ瀬直二訳)、「あらゆる表現は対比的なもののなかにおかれ、自由に結合することが、詩人を無制約なものにする。」(ノヴァーリス『断章と研究799-1800』[705]、今泉文子訳)、「詩は存在を救わねばならぬ、ついで、存在がわれわれを救わねばならぬ。」(イヴ・ボンヌフォア『詩の行為と場所(抄)』宮川 淳訳)、「あらゆるものは、始まったところにもどるもの」(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』2、深町真理子訳)、「あらゆるものがあらゆるものとともにある」(ホルヘ・ギリェン『ローマの猫』荒井正道訳)、「用心しないと、自分はこの遊びが気に入ってしまうだろう。」(P・D・ジェイムズ『ナイチンゲールの屍衣』第四章・1、隅田たけ子訳)、「どういう意味?」(スティーヴン・バクスター『虚空のリング』下・第五部・30、小木曽絢子訳)、「他人が考え 生みだしたものが/ほしいままにぼくらの内部に入りこんで/ぼくら自身の思念にひとしくなる」(ホフマンスタール『思念の魔』川村二郎訳)、「そこには何か、深い悲しみに似たものがあった。」(シオドア・スタージョン『必要』宮脇孝雄訳)、「だが、その深い悲しみが知恵というものなのだ。」(バイロン『カイン』第一幕・第一場、島田謹二訳)、「優れた詩のように」(ジェイムズ・P・ブレイロック『ホムンクルス』2、友枝康子訳)、「詩人というものは、」(ジャック・ヴァンス『愛の宮殿』8、浅倉久志訳)、「他の人の人生に意味を与える」(レイナルド・アレナス『夜になるまえに』レサマ=リマ、安藤哲行訳)、「ばかばかしい」(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』5、宇佐川晶子訳)、「くだらない人生だけどね、」(ガルシア=マルケス『族長の秋』鼓 直訳)、「魔法の杖で触れること。」(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)、「そのひと言で、」(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』女戦士(アマゾネス)、木村榮一訳)、「太陽をこわしたり、作ったりできるのです。」(スタニスワフ・レム『泰平ヨンの航星日記』第二十一回の旅、深見 弾訳)、「詩というのは」(J・L・ボルヘス『月』鼓 直訳)、「現実を変えてしまうのさ。」(K・W・ジーター『グラス・ハンマー』黒丸 尚訳))。
二〇一九年六月二十三日 「恋する四角 恋する資格」
恋する四角 恋する資格
あるひとへのメッセージに
恋する資格と書くつもりが
恋する四角になってしまって
自分で笑っちゃいました。
で
恋する視覚と書いて、またぐぐっときて
恋する刺客もいいし
恋する死角もいいかなって、笑。
こんな言葉が書きつらねられるのも
こういったパソコンのワード的な機能のおかげかなって思いました。
ぼくは
30才くらいで死んじゃうような気がしていたので
こんなことが書きつらねていけるなんて
想像もしてなかった。
まだまだ
想像もしていなかったことが
起きるかもね。
恋する四角
恋する視覚
恋する死角
恋する刺客
なる~。
おもろい。
二〇一九年六月二十四日 「日知庵」
来週は火曜日、土曜日、日曜日です。
二〇一九年六月二十五日 「エコーズ。 ──りょうくんの思い出に。」
いちごになりたい。
ぼく、バカやから、いちごになられへん。
いちごにやったら、なれるで。
そうかなあ。
そうや。
といったような会話からはじまったのではなかった。
メガネ、きょう、かけてへんのや。
うん。
まっ黒やんか。
まえに会うたときと、ぜんぜんちゃうから、違うかもしれへん思うた。
海でも行ったん?
うん。
どこ?
若狭。
ああ、ぼくも、学生時代に行ったわ。
3、4時間、かかるんちゃう?
うん? 2時間。
えっ? 2時間?
道路事情が違うんやろか。
まあ、ぼくの学生時代って、30年くらいまえやけど、笑。
横に坐ってもええかな?
うん。
髪の毛も短くして
髪も染めたんや。
うん。
コンタクト?
いや。
コンタクトせんでも見えんの?
見えへん。
見えんでもええの?
(笑って、うつむく)
目、どれぐらい?
0.2
ぼくも学生時代、そのぐらいやったよ。
でも、15センチくらいまでやったら見えるやろ?
乱視やから。
そか。
ぼくかて、乱視で、月がにじんで見えてた。
そやけど、齢とったら、ちょうどええくらいの視力になったで。
?
ほんと。
いま、1.0と0.7。
これ、タイルあらへんね。
でも、ええ味してるんちゃうかな。
なんかね。
このしみがね。
はじめて会うたのは、1年くらいまえかなあ。
笑顔がめっちゃかわいいねん。
すごいスタイルよかったのに
きょうは、ちょこっとおなかが出てて
おなか、出た?
うん。
って
ずっと、ほとんど
うん。
って、かわいい。
名前きいてへんかったね。
うん。
ほんとの名前でなくてええんやけど。
りょう。
二〇一九年六月二十六日 「夢」
あさ、目が覚めたら、左手の甲の真ん中に、顔みたいなものができてて、じっと見てたら、そいつが目を開けて突然しゃべりだしたので、びっくりした。どうして、ぼくの手に現れたのって訊いたら、あんたがひととしゃべらないからだよって言った。いつまでいるのって訊いたら、ずっとだって言うから、それは困るよって返事すると、ふだんは目をつむって口も閉じておいてやるからって言った。きみともあんまりしゃべることないよと言うと、気にしない気にしないって言うから、ふうん、そうなんだって思った。でも、なんだか迷惑だなとも思った。
二〇一九年六月二十七日 「夢」
あさ、目が覚めたら、左手の甲の真ん中に、白い毛が一本生えてて、定規で計ったら3センチくらいあって、手をゆらゆら揺らしたら、毛もゆらゆら揺れたので、これはおもしろいと思って、剃らないことにした。
二〇一九年六月二十八日 「20世紀SF」
シマックの『都市』を読み終わって、河出文庫の『20世紀SF』のシリーズを読み直してるのだけれど、逆年代順に読むことにした。で、第6巻の1990年代。このシリーズは、どれもよかった記憶がある。とくに、第1から3巻のあたりがよかったと記憶している。逆年代順に読むのは、はじめて。三回目の再読。
二〇一九年六月二十九日 「2010年6月4日のメモ」
帰りに韓国語の先生と興戸の駅で会う。
いつもと違うファンデーション。
紫外線よけかな。
ぼくは年収の半分を詩集を出すのに使ったり
本を買うのに使っているのですが
先生は、何かにたくさんお金を使われることがありますか?
エクササイズに。
2年前の体型に戻りたくて。
以前の服が着れません。
二〇一九年六月三十日 「日知庵」
来週は、火曜日、金曜日、日曜日。
二〇一九年六月三十一日 「若いことが意味を持つか?」
若いときには、若さについては何も考えなかった。
齢をとってから、ますます、若さについては考えなくなった。
そもそも、若さとは、「他人事」だったのだ。
他人が、若かろうが、年寄りだろうが、関係ない。
まあ、それは、ぼくが知識の源泉を、
死んだ人たちの多くに求めていたからだろう。
だから、びっくりするのだ。
世代や年齢で、詩人や作家を見ることに。
意味があるのは、「他者の思考に影響を与えるほどのものを書いているか、
それを発表しているか」だけなのだ。
年齢ではなく、才能が問題なのだ。
影響力は才能に比例する。
作り手と享受者の。
ただそれだけのことなのだ。
若いとか齢とったとか関係ないのにね。
ぼくは、一生過激でありたいわ。