年明けからの毎日
番田 


何かを感じ取っている、存在していることによって、電車の音を聞いているようにして。年が明けてからすることもなく、スーパーで野菜を買う以外はこれといった行動をしたことはなかった。呼吸を繰り返しているだけの檻の中の動物にも似ていた。知るべき、何かがあった気もしたけれど。食事を、時には、作っていた。ラジオからは新しいウイルスの蔓延を告げる情報が発せられていた。今回は、特に、警戒をする必要もないウイルスなのだという。そんなウイルスを、ウイルスと呼んでよいのかわからなかった。僕はうどんをよく作っていた。鳥である場合が、具としては多い。時には、何か他の食事を考えねばと思っていた。しかし、それを食べることばかりが続いている。そばでもいいから茹でるべきなのだろう。しかし、そばは切らしていた。夏の間はよく食べていたが、在庫がないままだった。買い出しに出かけるときにはいつもそのことは忘れていた。


図書館で借りていた本は、読みきれずに終わりそうだった。この本を借りていたときは、まだ、外は暖かさが残っていた気がする。記録的な大雪が北海道では心配されていた。新潟においても雪は何もニュースにもならずに過ぎていくほどなのだから、相当なものなのだろう。そんなことを考えていると、不意に、少しだけ寂しくもなったりもした。友達は皆、結婚してしまった。関係のあった女の子も、今では、一児の母親だった…。僕は、今では都会を離れて、郊外で暮らしている。そうしない理由もあまりなくなったからだった。誰かと、代々木公園で毎週のように会っていたのはいつだっただろう。今でも池の畔ではあの噴水は上がっているのかもしれない。記憶というものは誰にとっても良いものであったりもするけれど、僕はそれ自体をなくしていきそうな不安が今はあった。記憶の中にいる僕を取り戻したいと、季節の中で考えたりもする。意味は、何もないようだった。それは、誰にとっても、同じなのかもしれないが。



散文(批評随筆小説等) 年明けからの毎日 Copyright 番田  2022-01-10 19:43:14
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