寒くなると物忘れがひどい
ただのみきや

白心中

唇の合掌
耳は氷柱みたいに澄んで
睫毛の雪がとけた

遭難と凍死を繰り返す
冬眠できない二人
こうしてまた長い
白昼夢の時代を迎える





ゼロの盲点

裸の樹に鴉が止まっている
微かな雨
時の唾が景色を潮解させる

その黒の静けさは心地よく
眼差しは猫を抱くように羽毛を撫でた
――ああ時間のレトリック

おしまれる/あきられる
観念よりも儚くすり抜ける刹那の霊
鴉とわたし どちらが先に





好み

雪に埋もれてゆく車の中
静寂のスイッチが押される
どこからともなく湧いて来るあのノイズ
鼓膜の裏側でナノサイズの塵が渦巻くような
那由多の微生物その目まぐるしい生と死の
さざめく霊魂のコラールのような
だが時折にわかにそれが飽和し収束する一瞬がある
ボリュームツマミを素早く回しすぐ戻すような
意識が飛ぶ寸前の行きつ戻りつの心地よさにも似た
―――言いたいことは一つ
わたしはオノマトペより直喩が好きだ





言葉立国の幸福指数

言葉を鵜呑みにする 一切疑わない
成分など詳しく知らなくても
子どもの頃から飲んでいる感冒薬みたいに
隠された意図なんて考えなくていい
字義通りの辞書の通り
名は体を表す そんな世界
「偽り」という言葉の他に偽りはなく
「虚飾」という言葉の他に虚飾はない
「愛」と書けば「愛」でしかなく
「善」と書いてその実「偽善」なんてことは在り得ない
想像を膨らませる必要なんてどこにあろう
先史時代の洞穴ではあるまいし
「蒼い蝸牛が少女の下腹部で破裂した」とあればそれは
「蒼い」「蝸牛が」「少女の」「下腹部で」「破裂した」のであり
それ以外のなにものでもなく他になにも表現していない
言葉にならない気持ちのことなんて考えもしない
むしろ秘められた言外の想いなど社会秩序に反するもの
犯罪もしくは精神の異常と見なされて然り
気持ちが言葉の七分目とか言葉の半分も満たしていないとか
この言葉では気持ちが収まり切れずに肝心な何かが欠けてしまうとか
あれこれ迷うなんてありえない
名札の付いた空き箱を積み上げることで構築され維持される世界
一にして全て 理想の閉鎖回路
故に真の客観性を永久排除した世界 全ては
言葉の国の円滑なコミュニケーションのため
(むしろ円滑なコミュニケーションのための立国か)
「比喩」という言葉はあっても比喩はなく
「奇妙」という言葉に結ばれた意味はあっても
奇妙な言い回しなどはもうどこにも存在しない
「幸せ」と書けば幸せ それでいいのだ
勘繰られたくないなら勘繰るな
それが無意識下に沈められた孤独と不安の不文律
疑いは名札を曖昧にして空き箱に不穏な気配を宿らせる
見通せないものこそが恐怖の源泉なのだ





凍傷

雪がいつまでも降っている
うす暗い灰色の茫漠
太陽の居場所すら疑わせる

あらゆるものに降り積もる
抗って払い除けるもの
受け入れて埋没するもの

雪と時 ねじれ鏡の双子
どちらも融け去って やがて現れる
遺失物たちの埃っぽい怪訝

あれほど降っていた雪も止み
雲は濃淡にひらけ
失明しそうな青

言葉が肺で溺れていた
吸っても吐いてもただ時間だけ
無感覚がこぼれる痛みだけが



                  《2021年12月19日》









自由詩 寒くなると物忘れがひどい Copyright ただのみきや 2021-12-19 15:21:45
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