一次審査のひと
たま
昨年のこと
とある詩のコンクールの審査を依頼されて
はい、はい。と気軽に引き受けた
どうせボランティアなんだから
身構えるほどの責任もないだろうし
兎にも角にも
年金詩人は暇だったのだ
七月の下旬
海水浴場のバイトを終えて帰宅すると
ズシリと重い
レターパックが届いていた
え、何これ?
開封すると詩のコンクールの応募作品が
ドッサリ出てきた
その数、一五三編
バイトの疲れもあって
思わず発熱しそうだった
コンクールは
小学生部門、中学高校生部門、一般部門の
三部門だった
わたしは
小学生部門の担当になったらしい
というのはコロナ禍の影響で
審査に係わる連絡会議は一度もなく
すべて事後承諾だったし
レターパックに同封されていた
依頼書を読むまでは
審査のやり方さえ知らなかったのだ
一次審査のわたしは
当然のこと
応募作品をすべて読むことになる
そうして二〇編の入選候補作を選出し
一〇点満点で採点したあと
それぞれの選考理由を書くことになるが
採点については大雑把でいい
そもそも、詩の評価を採点方式でやるなんて
おかしいではないか
いかにもお役所がらみのコンクールだと思うが
問題は、選考理由なのだった
バイトを一日休むことにした
各日のバイトだから一日休むと三連休になる
しかし、審査は三日で終わらなかった
とにかく、
小学生の詩は面白すぎる
大人さえもついてゆけない、シュールな物語や
豊かな発想に支えられた、確かな詩や
たどたどしいことばで綴られた
生まれたばかりの詩、と呼べるものなど
それらはすべて、詩の宝物なのだと思った
それぞれの詩にひそむ
それぞれの作者の秘密を読み解くことに
わたしは没頭した
小学生部門を担当できたのは幸いであった
字を書くのは苦手だから
二〇編の選考理由をパソコンに打ち込んで
プリントしたものを一作ごと採点表に切り貼りして
ようやく審査を終える
採点表だけを投函すると
応募作品はわたしの手元に残ることになる
作品には作者名がない
作品だけを読んで審査するのは
ほんとうに公平なんだろうかと思う
おそらく
審査に漏れた一三三編の作者名を
わたしは、永遠に知ることはない
どうしても歯がゆい想いがする
それが、
一次審査のひとなのだろうか
レターパックには
謝金振込依頼書が一通混じっていた
なんと
審査料がもらえるのだ
海水浴場の一〇日分もあった