刷り込み~緑色に輝く透明な空の彼方に・・・
草野大悟2

卵から孵った雛が、初めて見た太陽を母親と思い込むように、俺はあなたを好きになった。

中学二年の春、勝ち気な瞳をしたショートカットの女の子に出会いました。「サヨナラ」、その子と初めて交わした言葉です。大きな夕陽の中でした。彼女は体操部のレオタード、俺は学生服。体育館横の満開の桜の樹の下の水飲み場だったと思います。顔を洗ったのか、笑顔には、小さな夕陽たちが輝いていました。リスみたいな前歯が真っ白くのぞいていました。

それからです。すべてに対して傍観者だった俺に変化が起こったのは。毎日毎日、彼女のことを日記に書きました。声を聞き、笑顔を見つめ、側にいるだけで有頂天でした。
俺は背が高いだけの薄ぼんやりのメガネでした。彼女は輝く向日葵でした。夏休みのある日、友だち二人と家に遊びに行きました。彼女の友だち二人も来ていました。海色のピッタリしたジャージ姿の彼女にドギマギしながらピンポン、ゲーム。お好み焼きを作ってたべました。タクアンのが美味かったです。それだけで、俺は太陽の中にありました。
        ☆
高校にいきました。文通しましょう。死ぬ思いで、手紙をポストに投げ込みました。
無惨でした。キッパリ断られました。それでも俺は、日記に彼女のことを書き続け、心の空洞を埋めるために付き合い始めた女の子と、彼女の高校の文化祭を見に行きました。出会ったのです。廊下でばったり。あ、彼女が大きな目をもっと大きくして一瞬立ち止まり、歩み去っていきました。
    ☆
大学生になりました。やけのやんぱちで決別の手紙を書きました。
  何を気取って実のない言葉を
  そんな奴ぶん殴ってやりたい!
一般論でした。大学紛争の真っ只中で、親からの仕送り受けてノウガキだけを垂れ、講義妨害やデモを繰り返す連中にウンザリしていたのです。そいつらをぶん殴ってやりたかった。返事が来ました。仰天しました。思いがけない内容でした。
美知子がどんなに下らない奴か
あなたが一番よく知っていたのですね
やった! 
彼女の完全な勘違いでした。勘違いから、付き合いは生まれました。
              ☆
あんなに気のきつそうな、なにも怖いものがないような、そんな彼女が、自分にまったく自信のない、ごく普通の、いや、もっと繊細な神経をした女の子だということが、一年、二年、三年とたつうちに、しだいに分かってきました。それでも傷つけました。互いの向上の為には徹底した議論が不可欠、そう頑なに信じていたのです。したため合った千通を超える手紙は、相手を打ち負かす刃になりました。俺自身も傷だらけになりながら彼女を傷つけました。もう、へとへとでした。彼女の瞳に疲弊した青空がありました。
              ☆
大学院をでました。卒業式には、彼女が親代わりに出席してくれました。結婚して上京、環境アセスメント会社の研究員を三年、諫早湾など全国のフィールドで仕事をしました。長女が産まれて半年後、帰熊。職を何度も変えて勝手放題でした。次女が産まれました。警察官になりました。安心していました。甘えていました。何もかも彼女に寄りかかり、そして、三十八歳になったとき、彼女は精神を病んでガス管を咥え、入院してしまいました。風がゆれ、火星がでていました。以前のようにひとりになった俺でした。
三十九歳になるころから、彼女は、向日葵の笑顔を取り戻し、中央の絵画展に入賞を重ねるようになりました。髄膜腫手術の失敗で寝たきりになる五十五歳までは。
              ★
呼吸がますます浅くなってくる。美知子が逝こうとしている。一つの呼吸の間隔が長くなってきた。うっすらと空が白んできた。雀がちゅんちゅん鳴きはじめた。
「美知子、今日も晴れだぞ」 返事はない。胸の奥に、そうだね、という声が響く。「よかったな」「うん」「青空、好きだもんな」「うん。それに、ひまわり」「あゝ、ひまわり、な」「うん、大好き」視界がぼやけてくる。美知子の目から涙がじんわりと零れてきた。手から俺の手に、命のようなもの、あるいは美知子そのものとしか表現しようのない気が流れ込んでくるのがわかった。
「じゃ、いくね」とでも言っているかのような旅立ちだった。
二〇一七年十一月五日午前六時十七分、美知子は、六七年の生涯を閉じた……。
             ☆☆☆
サヨナラは出会い。夕陽の中だ。勝ち気な瞳。ショートカット。華奢なからだ。風のように、光のように、純粋が、緑色に輝く透明な空の彼方で飛び跳ねている。   


自由詩 刷り込み~緑色に輝く透明な空の彼方に・・・ Copyright 草野大悟2 2021-03-22 11:24:17
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