エレキギターと空軍機
番田 


昔僕は相模大野で暮らしていたのである。僕の住んでいた部屋の下には若い米兵が住んでいた。通りには、まだいくつかの夢が、買ったばかりの自転車で街を走ると、見えていた気がする。車に傷をつけただろうと、走っている腕を掴まれて言われたこともあった。スーパーへと、広い駐車場の間を通って歩いていた道。同じくらいの歳の女の子が、試供品の肉を僕の姿を見てすぐに差し出してくれたこともあった。僕は、雪の積もる日もそのスーパーに行っていたのだ。足を伸ばして駅の向こう側にできたスーパーに行っていたこともある。まだ若かったから、僕は、そんな疲れることをしていた。少しだけ、値段がそこは安いというだけの理由で。そこへ行く途中に、風俗店の看板が怪しく光っていた。ネットや、聞くところでは、ぼったくりなのだという話だ。風俗店自体がこのあたりではたった一軒しかないのに、よくわからない店だった。


街に住むときに、上空を通る戦闘機の存在に気づかなかったのは、全くの誤算だった。その話を若くてルックスの良かった不動産の女性担当者はしていない。祝日や土日は戦闘機は上空を通らなかった。そのような計算がなされていようとは、田舎者の僕は気づかない上、全くわからない。周囲は素性のしれない人も多く、外観も微妙なアパートだった。部屋で、エレキギターを弾いていた僕。ラジオからは時々知り合いのバンドの曲が流れていた。まだ、彼らの知名度はあまりなかったあの頃。必死でギターを、僕も練習していた。




散文(批評随筆小説等) エレキギターと空軍機 Copyright 番田  2021-03-14 00:11:11
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