詩の日めくり 二〇一五年七月一日─三十一日
田中宏輔

二〇一五年七月一日 「I made it。」



かるい
ステップで
歩こう


かるい
ステップで
歩くんだ

もう参考書なんか
いらない

問題集も
捨ててやる


かるい
ステップで
歩こう


かるい
ステップで
歩くんだ

もう
偏差値なんか
知らない

四月から
ぼくも大学生

(連作『ぼくのEarly 80’s』のうち)



二〇一五年七月二日 「Siesta。」


siesta
お昼寝の時間

午後の授業は
みんなお昼寝してる

階段教室は
ガラガラの闘牛場

老いた教授は
よぼよぼの闘牛士

ひとり
奮闘してるその姿ったら

笑っちゃうね
もう

(だけど、先生
 いったい何と奮闘してるの)

siesta
お昼寝の時間

午後の授業は
みんなお昼寝してる

チャイムが鳴るまで
お昼寝してる

(連作『ぼくのEarly 80’s』のうち)


二〇一五年七月三日 「First Trip Abroad。」


いつものように
窓際の席にすわって

Tea for One

どこに行こうかな
テーブルのうえに世界を並べて

アメリカ、カナダ
オーストラリア

それとも
アジアか、ヨーロッパがいいかな

それにしても
きれいなパンフレットたち

あっ
そろそろつぎの授業だ

ぼくは世界をリュックに入れて
外に出た

(連作『ぼくのEarly 80’s』のうち)


二〇一五年七月四日 「パタ パタ パタ!」


部屋から 出ようとして
ドア・ノブに触れたら
鳥が くちばしで つっついたの
おどろいて テーブルに 手をついたら
それも ペンギンになって ペタペタ ペタペタッて
部屋の中を 歩きまわるの (カワイイけどね)
で どうしようか とか 思って
でも どうしたらいいのか わからなくって
とりあえず テレビをつけようとしたの
そしたら バサッバサッと 大きな鷲になって
天井にぶつかって また ぶつかって
ギャー なんて 叫ぶの
で こわくなって
コード線を 抜きましょう
とか 思って
て あわてて 思いとどまって (ウフッ)
(だって、これは、ミダス王のパロディにきまってるじゃない?)
って 気づいちゃって (タハハ)
思わず 自分の頭を 叩いてしまったの
パタ パタ パタ!


二〇一五年七月五日 「不思議な話たち。」


ネッシーは、まだネス湖にいるのでしょうか。
あの背中の瘤は、いまでも湖面に現われますか。

雪男は、まだヒマラヤにいるのでしょうか。
あの裸足の大きな足跡に、いまでも遭遇しますか。

ツチノコは、まだ奈良の山にいるのでしょうか。
あの滑稽な姿で、いまでも目撃者が絶えませんか。

かつて、ぼくらが子供だったころ
ぼくらのこころを集めたさまざまな話たち。

いまでも、子供たちのこころを
いっぱい、いっぱい集めていますか。

不思議な話たち、
ひょっこり写真に写ってください。

不思議な話たち、
ひょっこり写真に写ってください。


二〇一五年七月六日 「胡桃。」


きみの手のなかのクルミ
  ──クルミのなかにいるぼく。

きみに軽く振られるだけで
  ──ぼくは、ころころ転げまわる。


二〇一五年七月七日 「月。」


月は夜
ぽつんとひとり
瞬いている。

だから
ぼくもひとり
見つめてあげる。


二〇一五年七月八日 「帽子。」


その帽子は、とっても大きかったから
ふわっと、かぶると、帽子だけになっちゃった。


二〇一五年七月九日 「風車。」


風を食らうのが、おいらの仕事だった。
うんと食らって、籾を搗くのが、おいらの仕事だった。

だれか、おいらの腕を、つないでくれねえかな。
そしたら、また働いてやれんのになあ。


二〇一五年七月十日 「3高。」


「そうね、結婚するんだったら、
ゼッタイ、高学歴、高収入、高身長の人とよね。
そのために、バッチシ、整形までしたんだからさあ。」

あなたの高慢がわたしの耳にはいったため、
わたしはあなたの鼻に輪をつけ、
あなたの口にくつわをはめて、
あなたをもときた道へ引きもどすであろう。
(列王紀下一九・二八)


二〇一五年七月十一日 「缶詰。」


缶詰のなかでなら、ぼくは思い切り泣けると思った。


二〇一五年七月十二日 「オイルサーディン悲歌。」


人生の旅の途中で
みなの行く道を行くわしは
気がついたとき
とあるイワシ網漁の
かぐらき網の目の中にいた。

捕えられたわしを待っていたのは
思いもかけぬ、むごたらしい運命であった。

多くの兄弟姉妹たちとともに
首を切り落とされ
ともに大鍋のなかで煮られて
油まみれの棺桶の中に
横に並べられ
重ねられ

されど
幸いなるかな、小さき者たちよ。
祈れば、たちまち
わしらは、光の中に投げ出されるのだ。

されど、覚悟せよ。
ふたたび火にかけられ
煮られることを。


二〇一五年七月十三日 「コアラのうんち。」


とってもかわいい コアラちゃん
のんびりびりびり コアラちゃん
ユーカリの お枝にとまって
ぶ~らぶらん ぶ~らぶらん

とってもかわいい コアラちゃん
うんち ぴっぴりぴ~の コアラちゃん
まあるいお腹は 調子をくずして
ぴっぴりぴっ ぴっぴりぴっ

こっちを向いて ぶらさがる
ぶ~らぶらん ぶ~らぶらん
黄色いお水が お尻のさきから
ぴっぴりぴっ ぴっぴりぴっ

子どもが見てる 笑って見てる
ぴっぴりぴっ ぴっぴりぴっ
子どもが見てる 笑って見てる
ぴっぴりぴっ ぴっぴりぴっ


 2、30年くらいむかし、テレビのニュース番組で、動物園のコアラが、お腹をこわして下痢になった様子を放映していました。日本に来て間もなかったらしく、子どもたちの騒がしい声と、その無遠慮な視線にまだ慣れていなかったために神経症にかかった、と番組のなかで解説していました。


二〇一五年七月十四日 「へびのうんこ。」


へびって どんな うんこ するのかな
へびって どんな うんこ するのかな
まあるいの まんまる~いの するのかな
ほおそいの ほそなが~いの するのかな

いつか みた ぞうの うんこ ってね
ぼてっぼてっぼてって ぶっとくて まあるいの
おっきくって とおっても くっさ~いの

へびって どんな うんこ するのかな
へびって どんな うんこ するのかな
まあるいの まんまる~いの するのかな
ほおそいの ほそなが~いの するのかな

いつか みた ねずみの うんこってね
まっくろけの ごはんつぶ みたいなの
ちっちゃくって とおっても くっさ~いの

ねっ みてみたいでしょ へびの うんこ
ほおそ~いのか まんまる~いのか

ねっ みてみたいでしょ へびの うんこ
ほおそ~いのか まんまる~いのか


二〇一五年七月十五日 「シャボン玉。」


おおきなものも
                   ちいさなものも
       みなおなじ
                            たくさんの
   ぼくと
                 たくさんの
きみと
       くるくる
                             くるくると
                  うかんでは
かぜにとばされ
                          パチパチ
      パチパチと
                  はじけては
  きえていく
             たくさんの
                        ぼくと
たくさんの
          きみと
                    にじいろ
かがやく
たくさんの
              ぼくと
                       たくさんの
  きみと
          たくさんの
                     ぼくと
  たくさんの
             きみと
                       くるくる
     パチパチ
              くるくる
  パチパチ
         くるくる
                  パチパチ
 くるくる
           パチパチ


二〇一五年七月十六日 「あいつ。」


弥栄中学から醍醐中学へと
街中から田舎へと転校していった
二年のときの十一月。

こいつら、なんて田舎者なんだろうって。

女の子は頬っぺたを真っ赤にして
男の子は休み時間になると校庭に走り出て
制服が汚れるのも構わずに
走り回ってた。

補布つぎのあたった学生服なんて
はじめて見るものだった。

やぼったい連中ばかりだった。

ぼくは連中のなかに溶け込めなかった。

越してきて
まだ一週間もしないとき
休み時間に、ぼくは机の上に顔を突っ伏した。
朝から熱っぽかったのだ。
帰るまでは
もつだろうって思っていたのに……

すると、そのとき、あいつが
ぼくを背中におぶって
保健室まで連れて行ってくれた。

どうして、あいつが、ぼくをおぶることになったのか
それはわからない。
ただ、あいつは、クラスのなかで、身体がいちばん大きかった。

でも、そんなことは、どうでもよくって
あいつが、ぼくをおぶって保健室に連れてってくれて
(保健室には、だれもいなかったから)
あいつが、ぼくをベッドに寝かしつけてくれて
ひと言、
「ぬくうしときや。」
って言ってくれて
先生を呼びに行ってくれた。

もう四十年以上もまえのことなのに
どうして、いまごろ、そんなことが思いだされるのだろう。
あいつの名前すら憶えていないのに。

(そういえば、あいつは、ぼくのことなんか、ちっとも
 知らなかったくせに、ほんとうに心配そうな顔をしてたっけ。)

もしも、ぼくが、そこで卒業してたら
卒業アルバムで、あいつの名前が知れたんだけど
ぼくは、また転校したから……

だけど
名前じゃなくって
あいつって呼んでる

そう呼びながら
あいつの顔を思い出すことが
気に入ってる。

そう呼びながら
そう呼んでる、その呼びかたが
気に入ってる自分がいる。

あれ以来
あいつのように
やさしく声をかけてくれるようなやつなんていなくって
ひとりもいなくって

ぼくは、それを思うと
あの束の間の田舎暮らしがなつかしい。
とてもなつかしい。

やぼったいけれど
とてもあたたかかった
あいつ。
あいつのこと。


二〇一五年七月十七日 「変身。」


 グレゴール・ザムザは、朝、目が覚めると、一匹の甲虫になっていた。ぼくは、この話を何十年もまえに読んでいた。それは、日本語でもなくって、ドイツ語でもなくって、英語で読んだのだった。自分が受験した関西大学工学部の英語の入試問題で読んだのだ。もちろん、そのときは、まだカフカの『変身』なんて知らなかったから、というか、文学作品なんてものを、国語の教科書以外で目にしたことがなかったから、変な話だなあと思いながら読んだのだった。でも、妹がリンゴを投げつけるところまで出てたんだから、あれはきっと、問題をつくったひとがまとめたものだったんだろう。それとも全文だったのだろうか。でも、あとで読んだ翻訳の分量を考えると、いくらなんでも全文ってことはないと思うんだけどね。まあ、いいか。あ、それで、ぼくが、なんで、こんな話からはじめたのかっていうと、受験生だったあのときに疑問に思ったことがあって、あとで翻訳で読んだときにも、やっぱり同じ疑問を感じちゃって、それについて書こうと思ってたんだけど、いったい、あのグレゴール・ザムザは、自分の意志で一匹の甲虫になっちゃんだろうか。それとも、自分の意志とはまったく無関係に一匹の甲虫になっちゃうんだろうか。はっきりとしない。無意識のうちに甲虫になることを願っていたっていう可能性もあるしね。
 でも、ぼくが、けさ目が覚めたときには、はっきりと、自分の意志で虫になりたいと思って、虫になったんだ。べつに頼まなくっても、妹はぼくにリンゴを投げつけてくれるだろうし、無視してくれたり、邪魔者あつかいしてくれる両親もいる。ぶはっ。いま思ったんだけど、投げつける果物がリンゴっていいね。知恵の木の実だよ。ところで、ぼくが目を覚ましたときには、家族はまだだれも起きてはいなかった。五時をすこし回ったところだった。朝に弱いうちの家族は、みなだれもまだ起きてはいなかったのだ。まあ、なにしろ、五時ちょっとだしね。ぼくは、近所のファミリー・マートに行って、スティック糊をあるだけぜんぶ買って帰ってきた。ちょうど10本だった。部屋に戻ると、本棚にある本をビリビリと破いていった。ビリビリに破いて、くしゃくしゃにして、買ってきたスティック糊でくっつけていった。裸になったぼくを中心にして、まずは筒状にしていった。それからあいてるところにもくしゃくしゃにした紙を貼り付けていった。まるで鞘に入ったミノムシのようにして横たわった。だけど、すぐに息苦しくなったから、顔のまえのところを少しだけ破いた。息ができるようになって安心した。安心したら、眠くなってきちゃって、ああ、二度寝しちゃうかもしれないなあって思った。だけど、虫って、どんな夢を見るんだろうね。

二〇一五年七月十八日 「森のシンフォニー。」


ぼくには見える。
ぼくには聴こえる。
ぼくには感じることができる。
だれが指揮するわけじゃないけれど
葉から葉へ、葉から葉へと
睦み合いながら零れ落ちていく
光と露のしずくの響きが
風の手に揺さぶられ、揺さぶられて
枝の手から引き剥がされ落ちていく幾枚もの葉っぱたち。
水面に吸い寄せられた幾枚もの葉っぱたち。
自らの姿に引き寄せられて
くるくると、くるくると
舞い降りていく。
幾枚もの葉っぱたちの響きが
小さな波をいくつもこしらえて
つぎつぎといくつもの同心円を描いていく
揺れる葉っぱたち、震える水面。
樹上を、なにかが動いた。
羽ばたいた。
葉ずれ、羽ばたき、羽ばたく音が
遠ざかる。
遠ざかる。
なにかが水面を跳ねた。
沈んだ。
消えた。
消え失せた。
なにかが草のうえに落ちた。
擦った。
走った。
走り去っていった。
ぼくには見える。
ぼくには聴こえる。
ぼくには感じることができる。
だれが指揮するわけじゃないけれど
ここに、こうして立っていると
はじまるのだ。
森のシンフォニーが。


二〇一五年七月十九日 「輪ゴム。」


輪ゴムが、ひとつ、落ちてた。

白い道、
アスファルト・コンクリート、の、上に。

輪ゴムが、ひとつ、落ちてた。

夏の、きつい、あつさに
くっ、くっ、くねっと、身を、ねじらせて、

輪ゴムが、ひとつ、落ちてた。

ぼ、ぼく、じっと見てたら、
なんだか、悲しくなって、涙が、出てきちゃった。


二〇一五年七月二十日 「タンポポ。」


わたしを摘むのは だれ
やわらかな手 小さくて かわいらしい
こどもの手 こどもたちよ

わたしは 野に咲く タンポポ
どこにでも 咲いています

たとえば 薔薇のように
かぐわしい香りを
放つことをしません

たとえば ユリのように
見目麗しき女性に
たとえられることもありません

けれど わたしを摘むのは 
やわらかな手 小さくて かわいらしい
こどもの手 こどもたちよ

わたしは 野に咲く タンポポ
どこにでも 咲いています

たとえば 夕間暮れ
駅からの帰り道
数多くの疲れた目が
わたしのうえに休んでいきます

たとえば 街路樹の根元
信号待ちで 立ちどまったベビー・カー
無情のよろこびに目を輝かせて
幼な児が手をのばします

わたしは 野に咲く タンポポ
どこにでも 咲いています

わたしを摘むのは やさしい手
小さくて かわいらしい こどもの手

こどもたちよ
わたしを摘みなさい

こどもたちよ
わたしを摘みなさい


二〇一五年七月二十一日 「裸木。」


「あら、裸木らぎ
 それとも、ぼく?」

──はだか

それは、ただいちまいの葉さえまとうことなく立ち尽くしている。

されど
豊かである。

たとえ、いまは裸でも。

陽の光を全身にあびて、深く長い呼吸をしているのだ。

いつの日か
角ぐみ芽ぶくために。

俺も裸だ。

俺にはなにもない。

されど
豊かである。

まことに豊かである。

俺の胸のなかは、おまえを思う気持ちに満ちている。

おまえを思う気持でいっぱいだ。

春になったら
いっしょになろう。


二〇一五年七月二十二日 「片角の鹿。」


ずいぶんと、むかしのことなんですね。
ぼくが、まだ手を引かれて歩いていた頃に
あなたが、建仁寺の境内で
祖母に連れられた、ぼくを待っていたのは。

ひとつづきの敷石は、ところどころ縁が欠け、
そばには、白い花を落とした垣根が立ち並び、
板石の端を踏んではつまずく、ぼくの姿は
腰折れた祖母より頭ふたつ小さかったと。

その日、祖母のしわんだ細い指から
やわらかく、小さかったぼくの手のひらを
あなたは、どんな思いで手にしたのでしょう。

ひとに見つめられれば、笑顔を向けたあの頃に
ぼくは笑って、あなたの顔を見上げたでしょうか。
そのとき、あなたは、どんな顔をしてみせてくれたのでしょうか。

 二十歳になったとき、父の許しが出て、実母に会うことができ、幼児のときに建仁寺の境内で会った話を聞かされました。
 幼いころ、祖母に連れられて、岡崎の動物園に行ったとき、鹿園で、一つしかない角を振り上げて、他の鹿と戦っている鹿を目にして、なにかとても重たいものが、胸のなかに吊り下がるような思いをしたことがありました。いま考えますと、そのときの鹿の姿を自分の境遇と、自分の境遇がそうであるとは知らないまでも、こころの奥底では感じ取って、重ねていたのではないかと思われます。


二〇一五年七月二十三日 「打網。」


まだ上がってこない。
網裾が、岩の角か、なにかに引っかかっているのだろう。
父の息は長い、あきれるほどに長い。
ぼくは、父の姿が現われるのを待ちながら
バケツのなかからゴリをとって
小枝の先を目に突き入れてやった。
父が獲った魚だ。
父の頭が川面から突き出た。
と思ったら、また潜った。
岩の尖りか、やっかいな針金にでも引っかかっているのだろう。
何度も顔を上げては、父はふたたび水のなかに潜っていった。
生きている魚はきれいだった。
ぼくはいい子だったから
魚獲りが大嫌いだなんて、一度も言わなかった。
ゴリはまだ生きていた。
もしも網が破けてなかったら
団栗橋から葵橋まで
また、鴨川に沿って、ついて行かなくちゃならない。
こんなに夜遅く
友だちは、みんな、もうとっくに眠ってる時間なのに。
宿題もまだやってなかった。
風が冷たい。
父はまだ潜ったままだ。
ぼくは拳よりも大きな石を拾って
魚の頭をつぶした。
父はまだ顔を上げない。
ぼくは川面を見つめた。
川面に落ちた月の光がとてもきれいだった。
うっとりとするくらいきれいだった。
ぼくはこころのなかで思った。
いっそうのこと
父の顔がいつまでも上がらなければいい
と。


二〇一五年七月二十四日 「弟。」


 齢の離れた末の弟が大学受験をする齢になりました。十八才になったのです。いまでも頬は紅くふくれていますが、幼いころは、ほんとうにリンゴのように真っ赤になってふくらんでいました。とてもかわいらしかったのです。
 ある日、近所の餅屋に赤飯を買いに行かせられました。ぼくはまだ小学生でした。四年生のときのことだったと思います。なにかのお祝いだったのでしょう。なんのお祝いかは、おぼえていません。顔なじみの餅屋のおばさんが、ぼくの目を食い入るようにして見つめながら、「ぼん、あんたんとこのお母さん、ほんまは、あんたのお母さんと違うねんよ。知ってたかい?」と言ってきました。ぼくは返事ができませんでした。黙って、お金を渡して、品物と釣り銭を受け取りました。
 家に帰って、買ってきたものと、お釣りをテーブルのうえに置くと、ぼくはさっさと自分の部屋に戻りました。
 その晩、ささいなことで母にきつく叱られたぼくは、まだ赤ん坊だった弟を自分の部屋であやしているときに、とつぜん、魔が差したのでしょう、机のうえにあった電灯の笠をはずして、裸になった白熱電球を弟のおでこにくっつけました。弟は大声で泣き叫びました。そのおでこの赤くふくれたところに、たちまち銀色の細かい皺ができていきました。あわてて電球に笠をかぶせて元に戻すと、ふたたび、ぼくは弟をあやしました。台所にいたお手伝いのおばさんが、弟の声に驚いて、ぼくの部屋にやってきました。あやしているときに畳でおでこをこすってしまったと嘘をつきました。お手伝いのおばさんは、オロナイン軟膏を持ってきて、弟のおでこに塗りました。おばさんの指がおでこに触れると、痛がって、弟はさらに激しく泣きました。
 いまはもうその火傷の痕はあまり目立ちません。目を凝らしてよく見ないと、ほんの少しだけまわりの皮膚よりも皺が多いということはわからないでしょう。でも、ぼくには見えます。はっきりと、くっきりと見えるのです。弟と話をするときに、知らず識らずのうちに、ぼくは、目をそこへやってしまいます。
 自分を罰するために? それとも自分を赦すために?

誰に向かってお前は嘆こうとするのか 心よ
(リルケ『嘆き』富士川英郎訳)


二〇一五年七月二十五日 「青年。」


 沖縄から上京してきたばかりというその青年は、サングラスをかけて坐っていた。父は、彼にそれを外すように言った。青年はテーブルのうえにそれを置いた。父は、青年の目を見た。沖縄からいっしょに出て来たという連れの男が、父の顔を見つめた。ぼくはお茶を運んだ。父は、青年にサングラスをかけ直すように言い、採用はできないと告げて、二人を帰らせた。
 ぼくは、父のことを、なんて残酷な人間なんだろうと思った。鬼のような人間だと思った。そのときのぼくには、そう思えた。後年になって思い返してみると、父の振る舞いが、それほど無慈悲なものではないということに、少なくとも、世間並みの無慈悲さしか持ち合わせていなかったということに気がついた。なんといっても、うちは客商売をしていたのだ。そして、同時に、ぼくは、そのとき、その青年の片方の目の、眼窩のくぼみを、なぜ、目のあるべき場所に目がないのかという単なる興味からだけではなく、自分にはふつうに見える二つの目があるのだという優越感の混じった卑しいこころ持ちでもって見つめていたことに、そのくぼみのように暗い静かなその青年の物腰から想像される彼の歩んできた人生に対しての、ちょっとした好奇心でもって見つめていたことに気がついたのである。振り返ると、いたたまれない気持ちになる。
 おそらく、父の視線よりも、ぼくのものの方が、ずっと冷たいものであったに違いない。


二〇一五年七月二十六日 「息の数。」


 眠るきみの頬の、ぼくがこんなに見つめているのに。ただ息をして、じっと眠りつづけている。でも、ぼくはしあわせで、きみの息の匂いをかいでいた。楽園の果実のような香りを食べていた。きみの吐く息と、ぼくの吸う息。きみの吐く息と、ぼくの吸う息。きみの吐く息を吸うぼく。きみの吐く息を吸うぼく。きみとぼくが、ひとつの息でつながっている。きみの息の甘い香りをいつまでもかいでいたい。きみをずっと食べていたい。いつまでも、いつまでも、こうして、ぼくのそばで眠りつづけてほしい。きみの口の辺りの、垂れ落ちたよだれに唇を近づけて。そっと吸ってみると、ぼくの唇の敏感な粘膜部分に、きみの無精ひげがあたって、こそばゆかった。こそばゆかったけど、気持ちよかった。触りごこちよかった。眉毛がかすかに動いた。醒めてるのかな。まだ眠っているのかな。わからない。わからないから、わからないままに、きみの息の数を数えることにした。でも、いったい、息の数って、どう数えるんだろうか。吸う息と吐く息をひと組にして、合わせてひとつとして数えるんだろうか。それとも、吐く息と吸う息を別々にひとつずつ数えるんだろうか。呼吸って言うくらいだから、息の数は、たぶん、吐く息と吸う息のひと組で、ひとつなんだろう。まあ、いずれにしても、どちらかひとつの方を数えればいいかな。ところで、生まれたばかりの赤ん坊って、はじめて泣き声をあげるまえに、そのからっぽの肺のなかに空気を導き入れるっていうから、息のはじめは吸う息ってことになるかな。じゃあ、死ぬときは、どうなんだろう。息を引き取るって言うけど、この引き取るって言うのは、死ぬひとの側からの言葉なんだろうか。それとも、死ぬひとのまわりにいるひとの側からの言葉なんだろうか。ひとの最期って、息を吐いて死ぬのだろうか、それとも、息を吸って死ぬのだろうか。最後のひと吐きか、最後のひと吸いか。うううん。どうなんだろう。なんら、科学的な根拠があるわけではないけれど、ぼくは、最後のひと吐きのような気がするなあ。うん、そうだ。息を引き取るっていうのは、最後のひと吐きの息を、神さまが引き取ってくださるって意味なんじゃないかな。そういえば、人間がさいしょに吸う息って、神さまが吹き込んでくださった息のことだろうしね。違うかな。いや、そうにきまってる。ぼくたちは、神さまの息を吸って、神さまの息を吐いて生きているのだ。神さまを食べて生きているのだ。と、こう考えると、なぜだか、ほっとするところがある。うん。とか、なんとか考えてると、きみの息の数を数えるのを忘れちゃってたよ。数えてみようかな。いや、ぼくももう眠くなってきちゃったよ。きみの息の数を数えようとしたら、きみの息の香りを食べようとしたら、なんだか、うとうとしちゃって、もう、だめだ、寝ちゃうよ、……


二〇一五年七月二十七日 「湖面の揺らめき、
               その小さな揺らめきにさえ、
                 一枚の葉は……」


日の暮れて
小舟のそばに浮かぶ
ぼくの死体よ。

山陰に沈み、重たく沈む
冬にしばられた故郷の湖水よ。

湖面に落ちた一枚の葉が
その揺らめきに舞いはじめる。
その小さな、ちいさな揺らめきにさえ
揺うられゆられている。

湖水は冷たかった。
 その水は苦かった。

いままた、一枚の葉が
山間(やまあい)から吹きおろす風に連れられて
くるくると、くるくると、螺旋に舞いながら
湖面に映った自身の姿に吸い寄せられて。

それは、小舟と、ぼくの死体のあいだに舞い落ちた。

水のなかで揺れる水草のように
手をあげてゆらゆらと揺れる
湖底に沈んだたくさんのひとびと。
そこには父がいた、母がいた、祖母がいた、
生まれそこなったえび足の妹がいた。

風が吹くまえに
ぼくの死体は、ぼくの似姿に引き寄せられて
ゆっくりと沈んでいった。

湖面に張りついた一枚の葉が
──静かに舞いはじめた。

蒼白な月が、一隻の小舟を、じっと見つめていた──


二〇一五年七月二十八日 「思い出。」


振り返ってはいけないと
あなたはおっしゃいました。

顧みてはならないと
あなたはおっしゃいました。

でも振り返らずにはいられないでしょう。
でも顧みずにはいられないでしょう。

あなたも、わたしも
わたしたちのふたりの娘も、みな
あの町で生まれ、あの町で育ちました。

ところが、あなたは
わたしたちに、あの町を捨てていこうと
思い出を捨てていこうと言われました。

いったい
あのふたりの男たちは何者なのですか。
主なる神のみ使いだと称するあの二人の男たちは。

いったい
どうしてわたしたちが街を捨てて
出て行かなければならないのですか。

あのひとたちの言うとおり
主が、あのソドムの町のうえに
ほんとうに火と硫黄を振らせられるのでしょうか。

あなたは忘れたのですか。
わたしたちのこれまでの暮らしぶりを。
わたしたち家族の暮らしぶりを。

主の目に正しい行いをし
正直に真面目に暮らしてきたわたしたちなのですよ。
なぜ、逃れなければならないのでしょう。

ロトよ。
わたしには忘れることができません。
ぜったいに、わたしには忘れることなどできません。

こうして、あのひとたちの言うとおり
あの町を捨てて、出てきたわたしたちですが

振り返り、顧みることが
なぜ、禁じられなければならないのでしょう。

わたしは振り返ることでしょう。
きっと顧みることでしょう。

たとえ、この身が塩の柱となろうとも
振り返り、顧みずにはいられないでしょう。

たとえ、この身が塩のはっ……


二〇一五年七月二十九日 「うんち。」


  中也さん、ごめんなちゃい。

ホラホラ、これがわしのうんちだ、
きばっている時の苦痛にみちた
このきたならしいジジイの肛門を通って、
ものすっごい臭気をともないながら
ヌルッと出た、うんちの尖端さき

これでしまいじゃないぞ、
まだまだつづく、
臭気を放つ、
鼻を曲げる、
おまるからこぼれる。

きばっていた時に、
これが食堂にいるみんなに、
興を添えたこともある、
みつばのおしたしを食ってた時もあった、
と思えばなんとも可笑しい。

ホラホラ、これがわしのうんち──
捨ててくれるのはいつ? 可笑しなことだ。
あふれ出るまで待って、
また、うんちたれだと言って、
なじるのかしら?

そして裏手の疎水べりに、
あの大型ゴミ捨て場に
捨てられるのは、──わし?
ちょうど尻たぶの高さに、
うんちがひたひたにたっしている。


二〇一五年七月三十日 「遺伝。」


  会田綱雄先生、ごめんなちゃい。

湯舟から
ハゲが這いあがってくると
わたしたちはそれが腰かけて
身体を洗って
ひげを剃り
そのツルツル頭を洗うのを見る

ハゲでもシャンプーを使うのだ

身体だけはへんに毛深くて
毛の生えた十本の指で
頭を搔きむしりながら
ハゲは泡となり
わたくしたちはひそかに嘲笑し
湯舟のなかで
楽しく時を過ごさせてもらう

ここは銭湯であり
湯舟はひろく
わたくしたちきょうだいの家からそう遠からぬ

代々ハゲにならないわたくしたちは
わたくしたちのちちそふの面影を
くりかえし
くりかえし
わたしたちのこどもにつたえる
わたくしたちのちちそふも
わたくしたちのように
この銭湯でハゲを見て
湯舟のなかで
ひそかに嘲笑し
わたくしたちのように
楽しく時を過ごしたのだった

わたくしたちはいつまでも
わたくしたちのちちそふのように
黒々とした美しい髪の毛を
ふさふさと
ふさふさとさせるだろう

そしてわたくしたちの美しい髪の毛を
ハゲは羨望の眼差しで見つめるのだろう
むかし
わたくしたちのちちそふの美しい髪の毛を
羨望の眼差しで見つめたように

それはわたくしたちの快感である

よる寝るまえに
わたくしたちは鏡をとって
頭をうつす
頭のうえはふさふさとして
わたくしたちはほほえみながら
てをのばし
くしをとり
髪をすきあう


二〇一五年七月三十一日 「さんたんたる彼処あそこ。」


    へんなオジンが俺を見つめてる。    リルケ
              (なあんて、うそ、うそ、うそだぴょ~ん。)

  村野四郎先生、ごめんなちゃい。

ズボンのまえに手をかけられ
ジッパーを下ろされた
ポルノ映画館のなかの
うすぐらい後部座席
こいつは いったいなんなんだ

見知らぬオジンが寄ってきて
さわりまくり いじりまくって
シコシコシコシコやってくれる この現実
しまいには ブリーフも下ろされて
歯のない口で フェラチオされて
うっ でっ でるっ

なんにも知らない俺の連れが
やっと トイレから戻ってきた
オジンがひょいと席をかわった




自由詩 詩の日めくり 二〇一五年七月一日─三十一日 Copyright 田中宏輔 2021-02-20 14:17:26
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