反射窓の印象
道草次郎

数日まえ発達障害の当事者会に参加してきた。コロナの折り、方々尋ねてやった掘り当てた直近で参加できそうな集まりだった。遠方ではあったが行って来た。

参加者は10人程度。半分は当事者の家族で、当事者本人がひとりで来ているのは自分だけだった。自己紹介の時は一応ASDらしいと言ったが、たぶんグレーで、むしろ傾向に起因する抑鬱状態に悩まされることの方が多いと言い添えておいた。

隣に座る当事者の男性は奥さんと一緒で、この会の常連のようだった。後で聞いた話だが、この人もASDらしくどうやらプログラマーの仕事をしているらしい。一般読者向けの特殊相対性理論の解説本を何冊か書いたそうだ。奥さんはわずかに二日酔いらしく、会の最中ずっとほんのりと愉快そうにしていた。

中学生の男の子の孫がいる女性は、その子がストラテラの服薬を断乎拒否してからもう1週間になると心配そうな声音で話していた。参加者に助言を求めていたが、納得の行く回答は得られそうに無いのは明らかなようだった。

発達障害を抱える20歳の息子が家出をして、1ヶ月も音沙汰が無かったが、先日LINEが来て無事だと分かったと涙ながらに語る40歳過ぎぐらいの女性もいた。女性自身も思えば子供の頃から発達障害的な傾向があり、様々な局面で苦労をしてきたと言っていた。

それから母親はASD、息子はADHDの親子も参加していた。彼らは非常によく話をし、特に母親は自らの行動や思考の特徴や時事トピックについて饒舌に話していた。この人たちとは後で一応連絡先の交換をした。


会も終わりに近付いた頃である。

すでに80歳は超えていそうな高齢な女性が50歳になる引きこもりの次男のことを話し始めた。次男はもう何十年も引きこもりの状態にあるらしく、時々顔は合わせるが、食事は基本的に2階の部屋のドアの前に置いておく。自分ももう良い歳なのでこの先どうなるのかと不安だという相談だった。

その時、司会の人がいきなりぼくに意見を求めてきた。というのも、初めの方の自己紹介でぼくは自分が26歳まで引きこもっていた過去を話していたからだ。

ぼくは、今日は絶対聞くことだけに徹しようと思っていたので少々面食らった。なので、もごもごとぎこちなくこんな事を言った。

「ぼくの場合は部屋に篭もり切ってしまうというタイプの引きこもりでは無かったので、絶対適当なことは言えないのですが、息子さんは、きっと他の誰よりも、男であることや自分が地域の中に生きていることに自覚的だと思います。そして、息子さんは自分というものをどれほど責めているか、これは計り知れません。でも、すごく偉そうで申し訳ありません、そんな息子さんにもすごくいい所はあると思うのです。えっと、息子さんにしかない良い所が必ずあって、それは本当に本当に凄いことだと思います…」

と、ここまで話したら急に頭が真っ白になり掌に汗がぶわっと吹き出してきた。それを察した司会の人がさりげなくぼくの尻切れトンボになった話を受けとめ、無難に話をつなげてくれた。

ぼくは何だか苦しくて窓を開けて外の空気を吸いたかったが、もうじき会も終わるので我慢することにした。待っているあいだずっと手の震えが止まらなかった。先程の話のあいだ中ずっと高齢の女性は、ぼくのことをじっと見詰めていた。


会がお開きになると参加者は軽い挨拶を交わし帰って行った。ぼくはどうしても先程の高齢の女性に言いたいことがあり後を追い掛けた。女性は駐車場の入口の所で誰かを待っている様だった。

「さ、先程はすみませんでした。うまく言えなくて…。ただ、ぼくも正直分からないんです。ぼく自身も自分の問題をどうにかできていませんし、だからなんだか、全然上手く言えなくて。でも、これだけは伝えたいです。ぼくがもし街でばったり息子さんにお会いしたらとしたら、きっと息子さんの素晴らしい所をさがすと思います。そんな人間が一人だけでも存在していることを、どうか息子さんに伝えて欲しいです」

女性はぼくの話を少しそわそわした様子で聞いていたが、話が終わると感謝の言葉を口にし、隣接する郵便局の方へと足早に歩いて行った。

ぼくは思った。自分は10年前、いや20年前とちっとも変わってはいない。今日は聴くことに徹するはずだったのに、またこうして余計な事を言ってしまった。ぼくはこう願うしか無かった。どうかあの女性がすっかりぼくの言ったことなど忘れ、自身の内から沸き起こる何かに忠実であってくれることを。そして、色々なことが少しでも良い方向へすすんで行ってくれることを。

非常に離れたところにいるというのは、それは別に美しいことでも悲しことでもない。ただ単にそうであるからそうなのだ。

午後の日差しが田舎町の支所の二階の窓に反射して、なぜか、いつまでもまぶしかった。



散文(批評随筆小説等) 反射窓の印象 Copyright 道草次郎 2021-02-16 00:25:32
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