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街中でヘッドホンごしにベースソロを聴いていると自分の周りだけが別空間の
ように錯覚する。このリズムは生活のリズムとはまた別のものであり、その別
空間を携えながら移動する自分という人はどうも生活者ではないような、自分
と街の生活とを分け隔てる囲いが存在するような錯覚をする。僕は君たちとは
違うんだぜ。
一度MDでもiPodでもいいから街中でベースソロを聴いてみるといい。どうだ。
そう、そうだ。聞こえないだろ?街中でヘッドホンごしのベースソロなんてま
ともに聞こえない。街の喧噪はそれほどヤワではなく、分け隔てる囲いなんて
ものは軽く突破してくる。みなさんお静かに!、頼むから静かにしてくれ!、
ベースが聞こえません!、なんでお前達はベースに耳を傾けようとしないんだ!
というわけで街中では簡単にベースは聞こえない。この「リフレイン」という
作品では奏でられたベース音が耳に届いている。なぜか。それはフィクション
だから。以上。
ちっがーーーう。いや違わないが、以上、はやめてくれ。手抜きだと思われる。
手で抜いていると思われる。ちがう。手を抜いていると思われる。作品に関係
ないことばかり書くな、という声が聞こえる。
えーとですね。作品中には三つの空間、舞台があり、それぞれに奏でられる
ベースとドラマがある。これは憧れの世界、舞台なのだ。フィクションかどう
かは置いておいて、少なくとも僕にとってこれは憧れの世界であり、ベースの
奏でる独特のリズムをバックに展開するドラマというのは僕の浪漫をくすぐる。
実際はドラマというほどの物語が書かれているわけではなく、ある1シーンが
切り取られているのだが、1連目はただリアシートに女がいて車内のカーステ
でベースが鳴っているだけ。でもベースの威力は大きい。これはタクシードラ
イバーで、リアに乗る女がミラーごしに映る、夜の銀座あたりか、車内にある
種の緊張感、ベースとの調和。いいじゃん。
2連目はうって変わって青い空だ。田舎かな。で、高校生くらいか。ああ、自
転車乗りながらイヤホンごしにベース音て、僕が高校生のころにはしようとも
思わなかった。もったいない。潮の香りとベース。
3連目は古き時代。止まってしまった時間と音楽。静けさの中に内在するダイ
ナミックな振動。埃をかぶった部屋の中に一人の男が目を閉じてかつての振動
の波の中にいるような映像だな。
わかると思うが、僕はベースが好きなので楽しめた。特に好きでもなんでもな
い人にとってはドラマが足りないかもしれない。これはある程度しかたない。
ベースは基本的にバックコーラスであり、他者との調和を司るものなので主義
主張の激しいダイナミックな展開というのはなんだか違うのだった。というよ
り、ベースが好きな人が楽しめればこの作品はそれでいいんじゃないのか。
ちなみに各連で僕が想定したベース奏者。
1連目はポール・チェンバース。スタンダードであり、いわゆるThis is Jazz
なベース。
2連目はチャーリー・ヘイデン。さわやかさよりも決意のある美しい音色。
3連目はレイ・ブラウン。巨匠である。
はい、わからん人は別にわからんでいいのです。と批評も開き直ってみた。