エデン〈小噺〉、他
道草次郎

『エデン〈小噺〉』~認識主義的宇宙の蛇~


 じつは宇宙の広さは認識により変化してきた、これはちょっとした秘密。

 太初。アダムとイブ、この二人が歩き回れる範囲が宇宙の全てだった。果物がたわわに実る樹や、互いに慈しみ合う獣や鳥達が群れ遊ぶエデンの園、それだけが宇宙だった。それ以外は存在していなかった。というか、存在しようがなかったのだ。だってそういうものだったから。けれどもアダムかイブのどちらかが…、いやそれは両者同時だったかもしれないのだが、エデンの外にうっかり脚を踏み出してしまったのだ。その瞬間、荒れ野が出現した。

 大航海時代以前。大西洋はナイアガラの滝を地平線いっぱい綴り合わせたかのような異観を呈し、奈落へと自らを豪勢に捨てていた。奈落に底は無かったし視界に入って来るのは濃密な霧だけだった。どこまでもどこまでも霧は立ち込めていた。マゼランよりも随分昔の話になるが、勇気ある一人の船乗りが大いなる滝下りを敢行した。真っ逆さまに、その目もくらむような滝壺へ船頭から突っ込んだのだ。すると、途端に濃い霧は晴れ、遥か西方に新大陸が姿を現した。

 宇宙時代の幕開け。アポロの探査機による観測が行われるまでは、月の裏は何もなくのっぺりとしていた。それまでは遠くの星々もただの飾りに過ぎなかった。文字通りの張りぼてだったのだ。アポロの探査機が月の周回軌道をまわったその日、月の裏にはその表とよく似たあばた模様が浮き上がった。思春期の面皰のさながら、しかし、もう何十億年とその顔を晒し続けたといった風情すら漂わせて。遥か彼方の星々はその輝きを増し、星座はふたたび息を吹き返した。

 銀河系を飛び出すまでは、銀河のむこうはぼんやりした夢だった。それはまるで靄がかかった朝の草原だった。銀河間飛行をはじめて成し遂げた種族がそこに見たのはさらなる漆黒と遥か彼方に見えるアンドロメダ銀河。その先はどこまでも茫洋としていて、不透明な灰色のよく分からない塗り壁に過ぎなかった。銀河団の羊膜を思い切って突き抜ければ…、その種族の心にはそんなが想いが兆した。

 宇宙の広さはこのように認識に伴ってその大きさを変えてきた。認識こそが宇宙なのであって、その逆ではない。これを認識主義的宇宙という。ところで、この宇宙ではいかなる者も宇宙に飛び出そうとは思わない。宇宙が小さくて困ることなど土台無いからである。認識はせいぜいエデンの園どまり。今のところ宇宙は、じつを言うとエデンの園の面積しか有したことがないのである。

 認識はサイズの母、これが認識主義的宇宙の帰結である。そして、ちょっとした秘密と言ったのには別の意味もある。認識主義的宇宙における宇宙の大きさは認識により制限を受けるが、イマジネーションにおいてはその限りではないのだ。つまり、ここまで記してきた認識の発展の歴史こそ、他でもないこのイマジネーションの所産である事をここに告白せねばならない。アダムとイブ、その他多くの鳥獣たちが有する神経シナプス(もしくはそれに類するなにか)が辿る無際限の組合せによる当然の帰結、それが認識主義宇宙の歴史であり全てなのだ。

 それは、喩えばこういう事である。エデンの住人の頭の中に、一台ずつレトロなタイプライターが設えられているとする。そしてその前にはやんちゃな猿がいて、ひたすらにデタラメなキーを打ち込んだとする。一兆ミレニアムに一度、『ハムレット 』や『ベニスの商人』が仕上がれば上出来。とまあ、そんなあんばいなのである。認識の発展の歴史が書かれるのに要した時間のことで猿をからかえば、さすがの猿たちも自殺しかねないので注意が必要だ。そうなのだ、時間はうんざりする程たっぷりある。ここ、認識主義的宇宙のエデンの園には何の限界もない。全てが時間という無尽蔵の餌に飼われた家畜なのだ。

 おっと、どうやらこの話はずうっと昔の事のようだ。なぜなら、蛇だけはずいぶん不服そうなツラをしているからだ。蛇だけに薮蛇とならぬか心配ではあるが…、お後がよろしいようで。





『エデン〈童話風〉』~虹色の蛇~

 世界が生まれたばかりのころのお話です。空にはまだ月がありませんでした。星たちも少なく夜はじつにさみしいものでした。神さまはそれを見てよしとしました。

 やがてさいしょの動物が生まれました。神さまが自分の好きなかたちを選んでつくったのです。生まれたてのその動物はまだ歩けませんでした。なぜなら足がなかったからです。神さまはおもいました。

(うん、これでいい。この前のときは足をつけたのが失敗のもとだった)

それからその動物には手もないことに気づきました。神さまはひとりうなずきました。

(これでいい、これでいい。間違いは繰りかえさないぞ)

この前のときは七日目を休日とした神さまですが、今回はそんな余裕はありません。七日目もせっせと世界をこねくりまわし続けたのです。

 そしていつしかその動物はエデンの園というところに運ばれました。たった一匹でうずくまっているその姿はまるで不気味なバケモノのなれの果てのようでした。手足をもがれメスでもオスでもないそのからだは、異容というほかはありません。神さまは遠くからその動物を見て深くうなずきました。

(うん、これだ。こんどは上手くいきそうだぞ)

 禁断の実がなるりんごの木の下で、もぞもぞとうごめくその肉のかたまりは考えることはおろか声をあげることさえできません。ただその顔にはどこか見覚えのあるところがありました。ずっとむかしひとつの世界をわがもの顔で闊歩していたあの生き物にとってもよく似ている・・・。

 神さまは厳重にエデンの園の錠を下ろすと、満足げに新しい世界の新しい光景の中へと足を踏み出しました。道端には真っ黒の水仙が列をなして咲き、そのあいだを虹色のヘビがゆうゆうと這っていきます。

 神さまはおもいました。

(やることはまだいっぱいあるぞ。こんどこそ、絶対にしくじったりするものか)





「インタヴュー」~虚構の亡霊


「いやいやどうも失礼、ボーっとしてしまって。いえ、眠ってたわけじゃないんです。昨晩はぐっすり眠れました、おかげ様でね。ただね、こうして久しぶりにこちらの世界に来たものだから、色々なものが面白くてしょうがないんでしょうね。たとえば、ほら、今テレビでやってるそのボラギノールのCM。それにしても、あれ可笑しいですよねえ? ああいうのを作っている奴、CMクリエイターっていうんですか、いったい毎日どんなこと考えてるんだろうなあ。ええっと、ウイスキーは水割りで構いませんか?いえいえ、これも私にとっては楽しみの一つなんだから、まあ黙って一つ、ね。ええっとどこまでお話しましたか? そうそう、CMクリエイターの話ですね。さっきの質問とも重なると思うんだけど、どうも私はかねてからああいう職種に興味がありましてね。ほら、よくいるじゃないですか、いつの間にか芸能人とかとくっついちゃうのが。あんなの羨ましいなあ・・・・・ヘ?そうでもない?

 

 なに、ちょっとした冗談ですよ。じっさい私には与り知らないことですしね。・・・・・ハイ、できましたよ、これこれ、これが旨いんだ、これを飲むためにこちらの世界に下って来たと言っても大げさじゃないんですよねえ。・・・・・ハイ、もしもし? さっき言ったでしょ、ルームサービスは要らないって。うん、うん、それじゃ、はい。・・・・・・あ、これは失敬。どうもこのホテルはいけませんな、ベルボーイがなってない。こりゃじきに潰れるかもわからない。まったくこちらの世界はどうなってしまったのやら。で、お話の続きだけど・・・あ、残念、もう時間だ。じゃあ、次の質問が最後になりますんでよろしく。





・・・・・え? 私?





 私はですね、自分でもよく分からんのです。どうしてここにいるのか、はたまたどうしてこんなことを喋っているのかも。まあじつのところ、およそ見当は付いてますがね。どうせアイツらがまた暇に任せてでっち上げたんでしょうよ。ええ、まあそんなことはよくあるんですよ。え?いや、私はいっこう気にしませんね。だって、私にはとっておきの秘密があるんですもの。えーとこの箇所は、ちょっと録音止めてください。あ、ハイどうも、けっこうです。

 

 それはね、アイツらには絶対に秘密ですよ、それはね本当はアイツらが私を創ったんじゃないんですよ。むしろその逆なんです、じつは(・・・)。びっくりした? そうでもない? じゃあ見てて下さい。私がこうしてウイスキーの水割りを傾ける。するとほら 「冷たいッ!」ね、アイツらの声が聴こえたでしょう?あー、キョロキョロしてるアイツらの顔見えます? ふふふ、どうやら信じてくれたようですね。

 

 さて、このあたりでお終いにしましょうか。そろそろ戻らなきゃ。え?何処へってそりゃあズルいなあ。それには答えられませんもの。約束と違うでしょ? あっちの世界のルールに反しますからね。まあ、あなたも一度お越しになられるといい、ええ、そうです、誰でも来られます。ただ、二度とこちら世界に戻って来られなくなりますけど・・・。ああ、もちろん時々は私みたいな例外も認められます。でも、私だって何千年もずっと申請してきたんだし、そりゃあ難しいことなんですよ、こちらの世界に来るってことは。

 なんだったらそこのカーテンを開けてごらんなさいよ。遠くからでぼんやりしてますが、見えるでしょ? そうそう、あれがね、私たちが帰っていく場所の入り口です。あれはね、大昔から「扉絵」って呼ばれているんですよ。ね、いい名前でしょ?」


散文(批評随筆小説等) エデン〈小噺〉、他 Copyright 道草次郎 2021-02-03 14:18:32
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