人生最大の闇#2.5
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小学生の頃から、身体(消化器官)を壊している。母は栄養価のないジャンクフードばかり出す人で、父はそんな母から狂ったようにお金を搾取し、夜のゲームセンターで、こどもの私たち兄妹を連れて、パチンコのやり方を教えた。というか母がいないとお金がないので、家族で連れ立った。不健康な生活で病み、わたしは病院に行こうとしたが、昔あまりにもわたしが栄養失調で、病院の先生に母は怒られたらしく、母はそれを恐れて嫌悪しているようだった。「病院に行きたい」「この傷がツライ」と言っても、「そんなの気にすることないじゃない」「全部愛莉が話すんだからね、わたしは知らないよ」と言われた。ここで不思議に思わないだろうか?目に見える形で病を負っていても、私の口から症状を言わない限り、両親は気づいていない、視認すらしていないようだった。おかげで、自分で頑張るという主体性は生まれたのかもしれないが。いざ、本当にヤバい、マズい事態だとなっても、病院に行くときには、「またあんたのせいで怒られるじゃない!」「先生に怒られるのはわたしなんだからね!?」「なんでもっとはやく言わなかったの!」と口を酸っぱくして言われた。そうやって、まだなにも先生に言われていないのに、私がお母さんに怒られるのだって辛かった。ますます言えないで、深刻な悩みは自分で解決するようになった。人間関係、友だち付き合い、恋愛、夢、学校生活……さまざまなことに挫折してきたが、その失敗をすべて辿っていくと、必ずそこ(身体の病)に行き着いた。とても自分一人では、治せないところまで来てしまっていた。それがどれほどの苦痛と悶絶を生んだか。両親が当てにならないので、自らがまた病院(ここでは心療内科)に行くことになった。しかし、当時まだ子どもで、先生になんて言ったらいいのか分からなかった。その際、いつもは放ったらかして育児をしない両親であるのに、付き添いで来たときに、先生の前で「ウチは娘の好きなようにさせてるんです」と良い人を装って言っていたのもある。なにも言えなくなった。「こんなに良い両親なのにそんなことを言うの!?」と、わたしが発言することが悪になるようだった。ここで、なぜそこまで重要なところを話さないのか?と疑問に思うだろう。言い返せばよかったけれど、病院に行くということは、それだけ切羽つまっていてギリギリの不安定な状態ということだった。だから、なんの頼りも知識も安心感もない状況で、心を強くもって大事なところ、大きなところを言うには、及ばなかった。あまりにもツラかった、抵抗があったのを覚えている。そして、まだ親からの愛情を信じたかったのだ。受診を断念した。「誰も当てにならなくて、自力でここまでやってもダメだったってことは、もう終わりなんだろうな」と思った。なかなか、話しても理解されなかった部分もある。親戚の家に駆けこんだりしたが、母の追い討ちにあい、人を信じきれず、家にひきこもった。長い長い、ひきこもり生活だった。死のうと思った。


散文(批評随筆小説等) 人生最大の闇#2.5 Copyright a i 2021-02-02 12:24:04
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