檻(掌編)
道草次郎
その格子をみたことのある人は少ない。それは大気圏の上層にあることになっている。くぐもった神様の声が聞こてきて、天使たちはいそいそと持ち場を離れ始めた。どうやら格子のどこかが壊れていたらしい。大天使は羽ペン片手に下っ端の天使に何か命令している。こんなとき損な役回りはいつだって下っ端だ。じきにあちこちで流れ星をかき集める音がしだした。格子の壊れた部分には巨大なハンダが当てられ、溶接の火花が飛び散り夜空が美しい青白色に染まった。
時を同じくして地上のとある動物園では、一騒動があった。一人のみすぼらしい中年男が夜の動物園に忍び込み、何かの動物の檻を無理やりにこじ開けようとしたのだ。当然男は宿直の係員に取り押さえられたわけだが、そのとき、男と係員とのあいだに次のようなやり取りが交わされた。
「離せっ!はなせっ!どうしても格子を壊さなきゃならないんだ!」
「酔ってるのか、おっさん?それとも狂人か?」
「違う!わたしは、みんなに真実を教えてやらねばならんのだ!」
「そうかいそうかい。そりゃ大そうなこったなおっさん。さあ、こっちへ来るんだ」
「いやだっ!わたしに触るな、愚か者め!お前にはアレが見えないのか?あ、あの怖ろしい光が」
震える声でそう言いながら、男は冴え渡った夜空の一地点を指差した。そこには漆黒を背景にして煌煌と輝く、青い光が見えた。
「知ってるよ。俺たちだって檻が壊れりゃ修理するさ。あんたみたいなのだっていることだしな。さあ行こう、おっさん」
闇夜を貫かんばかりに男の絶叫が響き渡ると、園中の動物たちが一斉に眼を覚ました。興奮のあまりギャーギャーと走り回る動物たちが、檻の内壁やらに狂ったように身体をぶつける凄い音がこだました。それを聞きつけて、どこからかたくさんの係員が集まってきた。彼らに向かって先ほどの係員が次々と何か指図をしている。男は恐怖のあまり叫ぶことさえ忘れその係員にしがみついた。
「ど、どうして夜の動物園にこんなにたくさんの人間がいる!?」
係員は可笑しくてしようがないという風に男を見つめた。
「どうしてって、あのギャーギャー喚いてる連中の息の根を止めるためにいるのさ」