卵化石
田中修子
ね、みんなは、恐竜だったころをおぼえている?
むかし博物館に家族全員を、父がつれて行ってくれた。幸せな会話で窒息しそうな電車、はやく終わらないかな。
父はティラノサウルスが好き。わたしはトリケラトプスが好き。
そのころ母がとっていた子ども新聞に、トリケラトプスの男の子と女の子が恋に落ちて、滅びていく恐竜世界を冒険するまんがが載っていた。火山がドカンと噴火して、灰がおちて、空がどんよりと曇って、濃いみどりの羊歯や、大きなイチョウやソテツが、どんどん燃え上がり容赦なく枯れていく。二匹の両親は、二匹を守って死んでいった。寒くて寒くて、二匹はからだを寄せ合いながら、まだどこかに残ってるあったかな理想郷を探して……わたしは結末まで読まなかった。
だって、そのトリケラトプスの男の子と女の子が、あったかいとこにぶじたどり着けて結婚して幸福な結末を迎えたとしても、もうぜったいに二匹とも、死んでしまっていた。
恐竜はうんとむかしに、ゼツメツしてしまったのだ。
かなしくて仕方がないから、うんっと思いっきり力を込めて左手の親指の爪を半分まで引っぺがした。
我が家では、神さま仏さまのはなしは科学的根拠のないものとして、あざけりと共にあったが、お兄ちゃんは後日、生き仏様をあがめるようになる。お兄ちゃんがコワイものに変わってしまった気がしたし、それに父は「お兄ちゃんのことは、なにかあったら刺し違えてでも止める」と熱い青年のまなざしで云って、母は「まぁパパ」と感涙するのである。どうしたらいいんだろう、わたしはせめてかわいらしくニコニコした。
でも、お兄ちゃんが借りていっしょに見てくれたジャン・コクトーの、「美女と野獣」のしろくろの映画の、お姫さまの長いまつ毛と目の深い陰翳・ドレスのきらびやかさ・野獣のかなしみと、ふたりの深い愛は、わたしの目のうらにいまでもあざやかにある。
父母・ティラノサウルスがほえるようにわらうと、頑丈な真珠の白い歯が見え、レースの羊歯はめくるめくように湿度の高い甘やかなにおいで中生代世界を装飾し、黄金のイチョウはひらひら落ちる。半透明の翡翠でできたトリケラトプスのわたしは、ふるふる震えているミニお兄ちゃんをうしろにまもり、突進して、しゅんとした父母・ティラノサウルスを三本角の頭突きで追い返したあと、ソテツの宝石みたいに赤い実をカリリカリリとたべてお腹がグルグルしちゃうんだな。
上野駅で迷わぬように、父が手をひいてくれる。父の手は、銀色の製図用のペンで設計図を描きなれた乾いたさらさらのぬくもりで、書きダコがあって、深いあったかい肌色をして、神さまみたいに大きかった。父のつくった偉大な建造物を、わたしは生涯乗り越えられないだろう。もし父が逝っても、あのひとの巨大な足跡は、各地に残り続けてるのだから、さみしくなったら、彼が設計に携わった建物の中のカフェに行ったらいい。--この小さな島がいつか、火山の噴火によってあるいは、たかいたかい津波によって飲み込まれるまで、あのひとは、遺すものをつくったんじゃないだろか。
わたしは地球の燃え尽きたあと、きらめく星になりたい。
少年のように、父は目を輝かせてチケットを博物館の入口にて買い求めた。おっきいお札がさーっと消えてゆく。おにいちゃんは幽霊みたいにボンヤリして、消えていく代金を母は目をキリキリさせてじっと眺めている、わたしはあとで母がバクハツして、家族が青く透き通ったカチンコチンの氷河期にはいるのを、いまから、みがまえる。
そうそう。そういえば、零下の雪と氷の世界を、わたしは、毛皮を着て風にさまよい歩いた。あれ、さむかったなぁ、おなかも減るし、家族も仲間もじゃんじゃん死んでった。歩けなくなったおばあちゃんの遺体から、着古した毛皮を引っぺがして、からだに重ねて、歩いて行った。ちょっとまえ、七万年前くらいかな? でもいまおもえば、命がけで歩いた氷原は、けっこう綺麗な風景だった。夕暮れには、氷原は、赤く青く金に、どこまでもあてどなく、きらめいてね。月があがってね、ふっと息を飲んで、それきりだった。
--わたしたち家族は、人をかき分けてまわる。
それで、ある展示の、孵らないで化石になってしまった恐竜たちの卵、というのをみたら、胸が痛んだ。
あ、わたしたち、一億数千年ぶりに、邂逅したんだ。
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某サイト投稿作品