巣立ちと動的平衡
道草次郎

体をつくる一個一個の原子はつねに入れ替わるって、えらい先生がテレビで言ってた。

ぼくは最近よくテレビを視る。

いつもぼやけてるWOWOWプレミアが昨日ちょうど無料放送の日だったから、ペンギンの赤ちゃんの巣立ちのシーンを視た。お尻についた細かい藁みたいな草きれが、今にも触れそうなくらいリアルだった。よく知らないけど、4Kか8K撮影ってやつなのかな。すごいな。

えらい先生の話の続き。先生は1ヶ月経つと、人間はまったく別の原子からできた別の人間になるんだと話してた。

だから、「お変わりないですか?ええ。あなたもお変わりないようで何より」というよくある挨拶は、まったく可笑しな話らしい。お変わり、大ありなんだそうだ。

ぼくは考えた。じゃあなんで一週間前と変わらないように感じるんだろって。全然変わってない、ように思えるけど。第一変わってないと感じてる脳細胞がそっくり入れ替わったはずなのに、なんで?なんか、ややこしい話な気がする。

こういう事なんかな。ちょうど家のリフォームみたいなもんで、工事は一日で済まないから、ひと月の改修予定のなかで最初はトイレを、その次はキッチン、最後には外壁をみたいなイメージ?しかも、最後の外壁の塗装が終わらないうちに、また新しい改修が家のどこかで始まるみたいな。それと、どの箇所の工事も手際がよくて、前に使ってるものの機能を残しつつ新しい機能を追加できる工夫に事欠かないみたいな。水道の蛇口がたくさんあって、ひとつずつ部品を交換していけば、その間他の蛇口で水が使えるから困らないみたいな。だから、変わった気がしないけど、いつの間にか変わってる、みたいなことなんかな?でも、リフォームって言ってもあくまでまったく同じものにするから、バージョンアップはないけど。

でも、(なんだかこの話しつこいけどもう少し…)使ってる材料はもちろん他のものを使うから、同じようにみえても、じつは同じじゃないと。でも不思議なのは原子に古いも新しいも無いのだから、じゃあ改修が必要なのは機能だよねって。機能って細胞かな。なんだろう。

動的平衡ってワードが出てきても、なんか難しくて分からない。材料が変わらなくても、それを使った機能は取り替えなきゃいけないというのは何故なんだろう。なんで動いてないとだめなんだろう。なんで初めからカチッとして、そのままずっと居られないんだろう。頭はぐるぐるまわる。

でも初めからカチッとしたものがずっと居座り続けたら、新しいものが生まれて来ないんだろうなとも思える。だって生まれて来ちゃったら、どんどんカチッとしたものが増えて宇宙はあっという間に定員オーバーになりそう。

だから動的平衡って、定員オーバーにならないように、一定数を維持する仕組みなのかなあとおもったり。でも、一定数を維持するなら初めにカチッと1回するだけで、あとはなんにもしなければいいんじゃないのかなともおもったり。

でも、それはきっと生命と言わないんだろうな。生命は、きっと宿命的に定員オーバーありきなんだよなって。それが動的平衡なのかなんて。

生命体を構成する重めの元素そのものが、先々代来の圧壊した太陽の名残りだっていう話を、えらい先生は、続けて話し始めたけど、ぼくはもうWOWOWプレミアムのペンギンの雛のふわふわのお尻が気になって仕方なかった。

若い頃、聞きかじりの知識で強い人間原理とか弱い人間原理とかの話を冗談交じりに誰かに話してたら、うっかりコーヒーをこぼしてしまったことがあったっけ。今思い出した。

あの時、たしか、すぐドリンクバーで代わりのコーヒーをもってきた。そしてポーションいれて「マーブリングって宇宙みたいだね」とわざとらしく笑ってみせたっけ。相手は誰だっか忘れちゃった。その人は、ただこう言ったな。「だろうね」

それから、たくさんの月日がながれ、ぼくは少しずつよく知りもしないことは口にしなくなり、コーヒーに渦巻くミルクのマーブリング模様にコスモスを見ることはなくなった。

今は、動的平衡も強い人間原理も弱い人間原理も、グレッグ・イーガンもファインマンさんでさえも霧の彼方。良いのか悪いのか、炬燵にうつ伏せになって、WOWOWプレミアムのペンギンの赤ちゃんのお尻ばかり観るようになったんだ。


散文(批評随筆小説等) 巣立ちと動的平衡 Copyright 道草次郎 2020-12-20 08:26:19
notebook Home