誰にでも自分の中にはもう一人の自分がいる
こたきひろし

日が山の向こうに落ちた頃
家の外で犬が尋常でない鳴き声をあげていた。
一頭だけじゃなさそうだった。二頭分の鳴き声はすこぶる興奮状態にある様子だった。
その内の一頭は家の飼い犬の鳴き声に間違いない。牛小屋の柱に首輪を鎖で繋いである筈だった。
犬の鳴き声に混じって騒ぐ子供らの声も聞こえた。
その内に騒ぎを聞きつけたのだろう。私の母親の声も混じりだした。家の裏の畑で農作業をしていた筈だった。

私は小学校低学年の子供だった。その時、家の中で宿題をしていたと思う。
私は内気でおとなしく、人前に出るのを極度に嫌う子供だった。
必然的に友だちは出来なかった。おまけに体躯は小柄で痩せていたせいだろう、よくいじめられていた。

だから他所の子供らの騒ぎ声に過敏に反応してしまい家から外に出られなかった。
だけど、そこに母親の声が加わる事によって僅かながら勇気が湧いた。他所の子供らに見つからないように盗むみたいに見るならいいだろうと思った。
家の物陰に隠れて見ようとしたら母親に気づかれてしまった。

母親は慌てて駆け寄って来ると、その荒れた両手で私の両の目をいきなりふさいだ。
 ひろしお前は見るな!
強く叱かりつけるみたいに制止した。瞬間、好奇心に反抗心が加わって
 なんでよみんな見てるじゃないか!
普段は従順な自分の裏側に湧き上がる感情に突き上げられて、私は母親の手を思い切り払いのけた。

それは驚きの光景だった。
牛小屋の柱に鎖に繋がれていた雄の飼い犬ジョンが他所の雌犬に背後から迫りひたすら腰を振っているのだった。
牛小屋に牛はいなかった。急なお金に困って父親が売ってしまったからだ。牛小屋の中は物置きなっていた。
母親は言った。
 子供が見るものじゃないの。
と言った。

後年
私はその日の母親の心情を痛いほど理解した。
発情した犬のまぐわいから、母親と父親にもそれと同じ行為が
有る事を我が子に想像されたくなかったんだろうと。
 
人もまたケモノ。雄と雌になったら人を忘れてケモノになる事を。
私もまた身をもって知ってしまったから


自由詩 誰にでも自分の中にはもう一人の自分がいる Copyright こたきひろし 2020-11-28 07:32:52
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