無花果の木に無花果の実がなる頃に
こたきひろし
柿の木には柿の実がなる
栗の木には栗の実が
畑には麦や蕎麦が
田んぼには稲が米を実らした
貧困を絵にしたような暮らしの家は
藁葺きの古くて粗末な佇まい
それでも庭はそれなりにあった
庭の隅には手作りの小屋があって
何羽か鶏を飼っていた
鶏は卵を産む
年の最後辺りには父親はその内の一羽を潰して
夕飯のご馳走にした
周辺は痩せた土地にしがみつくみたいに
農家が点在していたのに
細い道の通りに沿って三軒は並んでいた
その並びは
本宅
新宅
分家
と言う格付けに呼ばれていたが
何代も前の起源で当時は単に隣近所に過ぎなかった
他にも周辺の家々に屋号みたいに付けられて呼ばれていた
たとえば桶屋に石屋
これも何代か前、葬式があると棺桶作ったり、墓石に名前彫ったりしてた家の名残りだったらしい
他にも、いわぶり 上 なかみち 観音様などがあった
いわぶりは三姉妹の一番上の嫁ぎ先だったがその由来は意味不明だった
他に男二人がいて合わせて五人の子供がいた
私の所の三軒は瀧屋と呼ばれていた
瀧屋の内の本宅新宅分家と言う訳だ
ちなみに本宅は地主様 新宅は製麺所と精米業を生業にしていたのに
分家の我が家は単純に貧農に過ぎなかった
家の前の細い通りの先は堀があってすぐ近くの川から水が引かれて流れていた
水は新宅の水車を回しこうばの機械を動かしていた
分家の前の堀の土手には下へおりる道があって母親はよく水を使って農具や野菜を洗っていた
そして
土手には私の好きな柿でも栗でもなく、無花果の木が一本植わっていた
私の子供の日の記憶の中では
無花果の木に無花果の実がなる頃に
ばあちゃんが便所の近くで倒れた
まだ日の明るい内で家にはばあちゃんと私の二人だけだった
大きな物音がして同時に悲鳴がした
私は吃驚してしまった
こわごわ便所迄見に行くとばあちゃんが不自然にひっくり返って倒れていた
顔色が普通ではなくその体は痙攣を起こしていた
私はどうしていいかわからなくなったが
泣きわめきながら家裏に飛び出すと畑で作業している両親を呼びにひたすらかけて走った
当時電話はなかった
地域限定の有線電話はあったが隣村の診療所迄は繋がらなかった
どうやって医者に連絡がついたのかは記憶になかった
周辺は隣村との分岐点近くにあったので村営の診療所が一番近かった
医者と看護婦は一人ずつそれぞれが自転車漕いで到着した
頃にはすっかり日が暮れていた
ばあちゃんがすでに息を引き取った後の事だった
無花果の木に無花果の実がなる頃
ばあちゃんの遺体を納めた棺桶は担がれて先祖代の霊が眠る墓の土に埋められた
無花果の木に無花果の実がなる頃に