離島/地下鉄を歩く
カワグチタケシ
加速中の一歩は、減速中の一歩よりはるかに重い。忘れることはたやすいが、思い出すことは更に容易だ。
地下鉄を歩く。
離島をイメージする。
ほぼ真円、全周三キロメートル、最高標高百メートルの離島を、猛禽の視線で、上空四百メートル付近を旋回しながら俯瞰する。
晴天。海は凪いでいる。
海と島との境目に、港と小さな集落があり、全島を一周する道路が走っている。原生林と下草の濃い緑が道路すれすれまで張り出して、海の群青と強いコントラストをなし、そのあいだを灰色の道路がトリミングしている。
山頂に近い泉を目指して、旋回しながら降下する。湧水は数百年間変わらず、島の人々の暮らしを支えている。島民は老いた漁師たち、測候所の職員とその家族、なにによって生計を立てているのかわからない男がひとり。
港に立つ。水平線の彼方まで、海以外はなにも見えない。隣の本島までは、約百五十キロメートル。週に一度、船が港に着き、郵便、新聞、食料を降ろす。積荷のなかで、重要なもののひとつが電源だ。発電施設のない島にバッテリーが運ばれてくる。
地上波が届かないため、船の着く日以外は、通信衛星が島と外界をつなぐ唯一のルートだ。年間平均気温摂氏二十度。朝と夕方には、乾いた強い風が石垣塀のあいだを通りぬける。野良猫はいるが、犬は一匹もいない。
たまたま海底から姿を現した突起物が、島となって、海面にポイントをつくる。そこに漂着した種子であり、人であり、猫である。起源をたどることにたいした意味はない。離島においては、意味よりもディテールが最終的に力を持つからだ。
東京メトロ有楽町線は闇の中を揺れながら走る。平日の昼間、閑散とした車内にアナウンスが流れる。次は永田町。私は地下鉄の車内を桜田門から麹町に向かって歩く。
シートから投げ出された男たちの足が次々に退き、あたかも紅海を渡るモーゼを導くかのように、私の進む先を、一本の道を照らし出す。