縁を歩く
六九郎
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
縁を歩いている
縁と言っても樽の縁であり
樽と言ってもただの樽ではない
縁の幅は一尺ほどもあろうか
それほど大きな樽である
薄開けのぼんやりとした光の中
足下は見えているが
向こう岸はぼやけて見えない
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
その縁の上をよろよろと
裸足の足を前へ出す
ここはおれの世界であり
これはおれの樽である
この樽の横にはまた別の樽が並んでおり
その樽の横にもさらに別の樽が並んでいる
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
おれの樽の周りを
ぐるりと樽が囲む
その樽の一つ一つを
一つ一つの縁の上を
また別のおれが歩いている
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
あれは子供のおれ
あれは有名女優のおれ
あれはイケメンのおれ
あれはユーチューバーのおれ
あれは経営者のおれ
あれは軍人のおれ
あれは女子高生のおれ
あれは人を殺したおれ
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
金を掴んで歩くおれ
人気や好感度を支えに歩くおれ
神様や仏様を信じて歩くおれ
手ぶらで歩くおれ
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
無数の樽の上を
無数のおれが歩いている
そしておれは
おれ史上もっとも誰でもないおれ
極めてありきたりな
何の変哲もないおれ
まさにおれ
あらゆるおれが同時に存在するこの世界で
このおれの世界における
もっとも代わり映えのしない
もっともうだつのあがらないおれ
それがおれ
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
あのおれはうつむいて歩いている
あのおれは堂々と歩いている
あのおれは歩くのを止めて縁に腰掛けている
あのおれは樽の中に足を滑らせた
樽の底はもちろん見えない
どこまでも深くどこまでも暗い
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
おれは縁を歩いている
歩きながら踊っている
おれだけの拍子で
だれとも違う
無様な振りで
裸の腹を突き出して
ふんどし一丁のラフな姿で
スタートもゴールもない
樽の縁を
よろよろと
よろめくように
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
ずっと上の方から
薄明かりの向こうの方から
低い声が高く轟く
「お前を見ているぞ」
「お前を見ているぞ」
全ての衆生を救うと言われている者の声
決しておれを救おうとはしない者の声
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ
ひょっ
ひょっと
くいっくいっ