振り返ることⅡ
道草次郎
とにかくぼくは20代後半の頃、色々なことをやってみなければと思い、比較的時間に融通のきく仕事をしながら自助グループを主宰し、ボランティア活動をし、NEETやひきこもりの専門家に会いに行っては生意気な質疑応答などをしていた。会う人とは片端からよく話をしたし、サイゼリヤのドリンクバーでは何時間だって頑張ることができた。
男女問わず会う人会う人のチャームポイントを即座に探し、それをバカ正直に褒めたりした。ある人が絵を書いていたら絵を褒めたし、ギターが上手ければキダーを褒めた。断っておくが、ぼくは何か策謀の為にそれをしたと言うよりも、たんに目の前の人がどこか賞賛に不足しているような気がしたからそれをしたに過ぎなかった。
無論こうしたことをしていると、様々な場面で弊害が生まれてくる。自助グループに参加し、その運営の一翼を担ってくれていたとある若者(といってもその時の自分より数歳年下なだけだったが)が早稲田出身だと知るやそれを周りに吹聴し、彼の頭の良さは勿論、高学歴であるのにその事を鼻にかけない彼の気さくさを賞賛した。如何なる他意もなくまったくの無邪気に。
しかし、後々自助グループの運営主体があやふやなものとなり、それがたち消えるか消えないかという段になった折、人づてに彼が「ななしさんは口が軽いですからねえ」と皮肉まじりに言っていたことを知った。
成程ぼくはその通りだと思った。そして自分のあまりの世間知らず、他人との距離の取り方の稚拙さにはげしく恥じ入る事となった。当時付き合っていた女性にその事を話すと、それは寧ろ当たり前な事で、あなたは今までそのような自分に自覚的でなかったのかと逆に尋ねられた。
早稲田の彼は自分が早稲田出身であることを「余り」知られたくはなかったのだ。自助グループに参加しておきながら、そうした思考を取りうる人間の複雑さ(と当時は思った)に半ば呆れ半ば怒りが込み上げてきた。しかし、それは彼にとっても同じことで、彼にも、ぼくに対する呆れと怒りがきっとあった事だろう。
彼を愚かだと言うことはできなかった。寧ろ彼が「普通」の感覚の持ち主であったという事実に嫉妬した。そして、では何故お前はこの場にいるのかと言いたかった。しかしそれを言うことは即ち自分に対しても同様の事を言っているに等しく、ただ人と人の間にはそうしたすれ違いが生ずるのみなのだという事に気付くだけだった。
これに気付くと、ぼくは、自分のやっていることが全部何もかもバカバカしく思えてきたし、ある時はソファーでの歓談のさ中にやにわに立ち上がり、その場を放擲したことも何回かあった。そんな事がありながらもぼくは相変わらず自助グループを続け、やって来る人たちの長所を褒め続けた。もっとも幾らか以前よりは慎重さが身に付き、押し付けの善意のように取られかねない行為・言動はなるべく避けるようになっていた。
しかし、この一連の出来事による心の動きこそまさしくぼくが学びたかった事であり、自助グループ開催にあたり宣言した「幼稚園からやりなおしたい」という自分の希望を見事に叶えてくれた願ったりの贈り物だった。だから勿論ぼくはソファーから身を起こし皆の前で息を押し殺していたさ中にあっても、心の何処かでは物事が思う方向へ流れていく気配をずっと感じていた。
とはいえ、ぼくが世間で生きて行く上で重要とされる何かを中学校の校庭の隅っこの辺に置いてきてしまったのは事実で、その事をよくよく考えてみる必要は以前にも増してあったし、自分はこれからどんどん慎重な人間になっていくべきだと考えるようにもなっていた。
然し乍らこの時にはまだ、ぼくのこの生き直しの旅がその端緒にすら付いていないということは、全くと言って良い程自覚されていなかったのである。
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次回に続きます。