厭離穢土、欣求浄土
飯沼ふるい

午前0時過ぎに(表現の誤解にもとづ
いて、近所の土手を(地滑りしていく
永遠を這うように、散歩している。鉄
塔の灯りが点滅しているのを眺めなが
ら「あれは飛行機のためにあるという
のは建前で、ほんとうは宇宙人と交信
するためにある」と、小学生も騙せな
いような(記述の憂き目に遭う、しょ
うもないホラを呟く。昨日食べた焼き
そばのせいか、鉄工所が燃えているせ
いか。土手を下ってすぐの鉄塔の足元
らへん、人の背丈ほどの(生き死には
語られ続け、薄い塀に囲まれた、小さ
な(骸になるのを許されるのは、鉄工
所の開口部という開口部から炎が盛ん
に噴いている。

ウソとホラの違いってなんだろう。燃
えるという物理学的な仕事は(語るこ
とをやめた者だけ、視覚のみに働いて
いて、臭いや音といった知覚への作用
は感知できないでいる。(おい、叢に
まぎれた虫とカエルとが鳴いている。
川でなにかが弾ける。遠くの道を車が
(そつちのほうに、ときおり過ぎる。
心臓のそばで蛆が這う。そういう類い
の静けさの中心に、炎は視えるだけで、
それは少なくとも俺にとって正しい。

一瞬の(回想はまだ残つてゐるか、白
い閃光のすぐあと、1つの窓から炎が
巨大なマッシュルームの形にむせる。
そして内側から裂けるようにはじけて
萎むと、黒煙がのぼりはじめる。黒煙
は(使ひすぎるほど使つても、重々し
い量感を漲らせ、またたく間に空へ空
へと突き進み(まだ足らないまだ足ら
ない、鉄塔を覆い隠す。そういえば最
近見たニュースのなかで昔の友達がイ
ンタビューを受けていた。真面目にマ
イナンバーカードについて語ったあい
つは(あんまり足らないものだから、
いつか「セフレと事に及ぶときは朝5
時まで呑んで死にたくなるほどの二日
酔いを抱えたまま精神科でメンタルセ
ラピーに臨むような気持ちが大事」と
も言っていた。今もその言葉が頭から
離れないでいるから、インタビューで
も言っていたに違いない。(愛のため
の言葉なぞみじめに媚びりつかせやが
つて、猥褻のカドで捕まればいいのに。

黒煙の行方を追い続けていると、(と、
一点の光が七色にうつろいながら輝い
ている。(斜に構へてみたりする、鉄
塔の点滅ではない、ユーフォーだ。ホ
ラかもしれないしウソではないかもし
れない。30分ほど前(あつちには芍薬
の枯野がひろがつてゐて、土手に腰を
下ろしていた俺の背を通り過ぎた徘徊
性の痴呆らしい禿たジジイが、黒煙に
まみれて咽ながら光へ召し上げられて
いるからだ。

あぁ、(こつちには明王の眼が転がつ
てゐて、キャトルミューティレーショ
ン、御来光、メメント・モリ。焼きそ
ばだって食べたくもなるし、(いつた
いなにをひつようとしてゐるのか、セ
フレというウソみたいな関係にすがり
たくなる場合もあるんだろう。結局は
いつだって他人事だから(かんがへる
だけかんがへて、いつまでも童貞だ。

うねるような(子午線を幾度も跨ぎ、
灯りに照らされて、煤や灰やにまみれ
ていることに気付く。洗うダルさを思
いながら(いみじくも人を阿呆にさせ
続ける、身体のあちこちの黒い染みを
検分していると、それらは次第に俺の
身体を侵食して点々とした(裏切りの
数々、孔をあける。割礼、そういう言
葉が(繰り返し、よぎる。真っ黒な孔
があいたぶんだけ(繰り返し引きちぎ
られる、身体が軽くなる。午前0時過
ぎに在ったであろう俺の身体(回想、
は光へ向かって手を挙げていた。いつ
のまにか俺は上空からその姿を見下ろ
している。魂の救済、解脱、(ばかり
に目を回す、回向なんて求めるほど思
い悩む生き方をしていないが、あぁ、
キャトルミューティレーション、重力
がこれほど人間を縛っていたとは。

俺は(けれどもまだ死ねないから、土
手をくだり(それらを砂に還して鋳型
をつくる、鉄工所へ歩を進めた。空か
ら眺めている限り、俺と(歯ぎしりと、
ジジイとの差など無いに等しい。ジジ
イはいつの間にか全裸にされている。
子供のように手足をばたつかせてはし
ゃいでいる。俺もあんなふうにされる
のか。宙に放られている俺のすべてが
宇宙人の知覚にかかっているなら、ジ
ジイのすべてはだれだったんだろう。
俺は健気に塀を越えて、さよならも言
わず(真つ赤な動脈を流し込み、自ら
を荼毘に付していった。涼しい。親友
がひとり亡くなったら、こんな気持ち
になるのかもしれない。

煤や灰やが螺旋に舞い上がり俺を祝う。
尋常ならざる力によって上着も下着も
透けていく。空を泳ぐ空想はよくした
ものだが、裸になるのは及びもつかな
かった。覚えたての自慰を(時間をか
け、終えたときの気分だ。大気が揺れ
んばかりの重く激しい爆発が足元から
おこる。バゴォーンは全国で売られて
ないことをはじめて知ったときと同じ
くらいの衝撃で童貞は木っ端微塵にな
った。(此岸の融点で、音とも衝撃波
ともつかない振動が鼓膜や下腹に伝わ
ってくる。あらゆる物理的な仕事の作
用を知覚する俺というものは取り戻さ
れて、痒い。いきおい身体の裏返るほ
どの走馬灯とちんぽの痒みに襲われる。

はじめて(結晶させる、恋人の手を繋
いだとき、指紋に染みた汗を餌に蛆が
沸いた。土のなかの(みずみずしい未
熟児、湿った暗がりが口のなかいっぱ
いに広がった。ちんぽを掻いてしまう
のは場の空気にそぐわぬ気がする。じ
りじり我慢しながら、厄災よ祓われた
まえと念じながら炎の唸りを聴いてい
る。(人がひとり剥がれ落ち、走馬灯
に照らされた肺腑の蛆がのたうち回っ
ている。恋人との別れを決定付けた
(言語の都市に産まれいづる、メール
を撫でたのと同じ指紋で詩を打った。
打てば打つほど蛆は潰れて、(意味の
与へられてゐない存在、それを餌に新
しい蛆が沸いた。

(その悦びと、ちくしょうインテリジ
ェンス。こんな思い出ばかりしか浮か
ばないのは宇宙人の仕業か、あいつの
話のせいか。いつの間にかこの世から
見えなくなったジジイにはなにが見え
て、なにが見えなくなったのか。ウソ
をついたぶんの三倍は正しいことをし
ろと(己のものでない痛みの数々とを、
保護者ヅラした親から折檻をうけた。
蛆の染み付く前の話を空に見ている。
あれはなんのウソがバレたときだった
か。ちんぽをさらけ出して宙に浮いて
いることを除けば、俺はいま独り光へ
臨み、清く正しい人間に生まれ変わろ
うとしている(あらためておもい知ら
されれば、そんな気がする。

孔は拡がるのをやめず、そこからこぼ
れていくものがある。蛆だ。尋常なら
ざる力で(涙は空襲のやうに、溶かし
だされている。あぁ、キャトルミュー
ティレーション、ただ存在のためだけ
に溜まり続けた澱がこれほど重たかっ
たとは。寒い。冴え渡りすぎて寒い。

走馬灯も(あふれるものだから、すべ
て過ぎた。(やうやく死ぬのが近づい
たのかもしれない、とうとうこの身体
にも過去形が迫ってきた。はるか下方
の炎はとうに潰えて、目前の光は眩く、
(永遠はまたひとつ崩れ、記述される
俺としての俺の終わりか。しかし宇宙
人の正しいことってなんだろう。(お
前に用意されたあたらしい予言に満ち
る、人生に誤謬があるなら、それは俺
の眼にしかないはずなのだから、あい
つらが棄てていったものがなければ、
残された記述は光へ向かい、暗くなっ
ていく身体だけだ(それもいづれ都市
の言語中枢に食はれてしまう、俺はい
ったいだれというんだろう。あぁ、血
も涙も走馬灯もちんぽの痒みも枯れ果
て、劇的な意味もなく(だから最期と
も言わぬが、地球の自転と宇宙の膨張
との延長線上の出来事として(ひとつ
の記述をのこしておえるとする、連れ
去られていく視線から(空と一緒に翔
んでいかうとする、遺骨まで遠く、拡
がり続ける(あらゆるものの、孔で真
っ黒に裏返り(ひとつの可能性として
の、“ここ”から絶えようとしている、
だれかの(お前の、
ために、(真名を、
聖歌を。

けれど彼はその一つも知らなかった。


自由詩 厭離穢土、欣求浄土 Copyright 飯沼ふるい 2020-08-24 20:06:11
notebook Home 戻る  過去 未来