フロントガラスにちいさな蝶が止まった
ただのみきや

招待状

時折 招待所が届く
ある時はコクトー
ある時は犀星
畠山千代子だったことも
メルヴィルの白鯨の一章だったりもする

だからと言っていそいそと出かけはしない
しばらく触れたり眺めたりしたことのない
それを 想い浮かべるだけ

そうして数か月あるいは数年後
何かの用事で近くへ来て
ふと埠頭や 砂浜へ足を運ぶ時
期待を裏切らず
あいかわらず代り映えのしない 海は
理解できない胸襟を開いて迎えてくれる





子安貝

わたしの夏は記憶の集積である
夏草を掻き分けて
木洩れ日を乗せては払い
墓地のある斜面を下り
ひとけのない砂浜へ出る
海硝子をひとつ
子安貝の白い殻をひとつ
ひろっては
この現実まで持ち帰る





終止符

澄んだ夕空を
トンボが往くようになると
もうすぐ夏は
太陽に背を向けて項垂れる向日葵のよう
光はどこか油絵じみて
記憶は焦げ付いている
ものごとはそそくさと準備をし
葬儀もなしに捨てられて
積まれた死骸
さらにポトリと
疑問符に感嘆符
終止符を重ね
そぞろ歩く
風は他人行儀
草葉の乾いたふるえ
粒子の荒い大気はモザイク





自問自答

時代と結べば遺物
瞬間を映せば幽霊
――論より証拠?
「見ないで信じる信仰ですかね 」
――意味?
「読む者が編めばいいでしょう 」
満ちも欠けもしない
月にもロマンス
いつまでも変わりはしない
渇きと拒絶
前提としての堕落
憧れと諦めと
飽きることなく遊び呆け
帰り道も帰る場所も忘れ
――着飾ったコンプレックス?
――言葉のコスプレイヤー?
「から揚げです 魂魄の
     なに淡泊なものですよ 」
衣は咲く
中は空
わたしと恋人が住むための
世界は創造され
都度破壊される
どこか甘ったるい死が
極めて曖昧な詩として
一人にしか懐かない猫のよう
しかしすぐそこ
背中を向けて
酒を飲んでいたり
鳩に餌をやったり
暇と哀愁を持て余し
滑稽な恰好で
苦虫をかみつぶしたように笑う
いま行こうとする死と
いま出ようとする生を
間から交互に見やる
拳銃の響きの刹那のような
最終行を探している





終日

背中に属さない盃にガーネットをあてがって
朝の光の暗い闇
眼球とヤスリは互いに相手をその身に乗せ
言葉を発する前の舌はぬめぬめと蠢いていた
食卓にはシナモンの風が吹いていたが
蝸牛がティーカップを這い回ることは拒めない
心臓には呪文めかした草木が描かれて
掘り出したばかりの縄文式土器だった
わたしは蒼白な糸の縺れで
毛羽立ったまま嬉しそうに拷問されていた
左利きの誰かの右手が時計の文字盤と交尾しながら
壁画の中で出口を探していたがあっという間に
野生馬の群れが炎で辺りを洪水にした
水瓶座で喉を潤す男は皮肉の女神の息子たちに捕らえられ
十字文様のある蜂に卵を産み付けられる
卵は時限爆弾であり隠喩であり在りもしない人生の思い出の
渚で拾った指輪をはめた薬指ですらあったが
わたしにとっては性欲を閉じ込めたカプセル薬でしかなかった
一個の肉体に幽閉されている
女はペッパーミルを回す香りを愛し
夕陽を乗せた湖から心中したカップルを幾組も呼び戻していた
彼らは皆アダムとエバになってサラダの中で愛し合っていた
窓から覗き見るトンボたち
視線を交わしたわたしは万華鏡に閉じ込められ
海辺のあばら屋へと運ばれて行った
そこでは屈葬された白骨を囲み水パイプが回された
道徳教師は言う「必要なのは知識ではなく自制なのだがね」
白い煙が竜のように踊り上りやがて女の姿でレゴンダンスを始めた
法律家は言う「表面化を減らし潜在化を増やすことなら可能ですよ」
筵を押し上げ大きな犬が半身を覗かせまた引っ込んだ
体育の教師は言った「強固な集団心理と上下意識で圧力をかけてみましょうか」
白骨の腕を持ち上げ自分の人指し指を振るような仕草をしながら
宗教家は「願望と絶望さえあればあとは証拠も証明も必要ありません」
そう言うと白熱球を飲み込んで顔全体を暗い照明器具に変えてしまった
漁師は怒鳴る「稲藁焼きにした溺死魚が焦げちまったじゃあねぇか! 」
医者がメスで魚の胎を裂くと真砂のような文字が溢れ出す
客たちはルーペとピンセットで各自の皿に並べて往く
緻密な作業に互いの存在を完全に忘れ去り
病気で羽根の抜けた鶏のよう
目つきだけが鋭くなり目の前のこと以外は無であり空だった
だが目の前にあることだって夢であり空
火の粉が弾け小屋に燃え移っても誰も夢中で気が付かない
いよいよ火が小屋全体を覆うと屈葬された白骨が立ち上がった 
伸びをして悠々と辺りを見渡し 視線に気付くと軽く会釈をし
火炎の渦から一人出て行った
一粒の涙に溺れた時代の反響音がカルタのように捲り上り
いっせいにモザイク化する
沈潜した子供の頑迷さは老いて再び発芽する
大人とは一つの幻想なのだ
冬虫夏草と溶け合う蝉のように退行に退行を重ね
太母の胎に取り込まれ水底から泡の行方を見上げている
迷路の入り口に立って わたしもまた一つの迷路であり
辿り着いた場所が何処であってもそこが
決して辿り着けはしない場所への永遠の憧れと
全ての始まりを繰り返し夢想させるだけの終点なのだと
睨むように見返してやった
ああ耳元で鐘を突かれても気づかない兎の耳を往く亀
狂おしい木霊で螺旋をのろのろ滑り降りながら
知恵らしきものを錯覚させる絶対無知の一滴よ
呼び覚まされる羽衣は水面から軽やかに大気を捉え
彼岸花で覆われた遠い町
金属色の犬に噛み裂かれ
記号化された半神たちに何度も犯されながら
穏やかな人形たちの暮らす町を目指すのだ
生まれてから朽ち果てるまで変わることのない
人形の人形による人形のための尊厳死制度
肉体を記号に記号を肉体に変えながら
一対の生の読み札と死の取り札が巡り合う時の
現れては消える扉
女の瞳の奥
わたしはその女の家であり墓であり
女はわたしの鍵であり真空だった
地軸がずれたかのように
なにもかもが斜めに倒れる刹那
上昇か落下か
悩んでも決してもがきはしない
万物は法則に殉じる安らかな怠けもの
白いケーキのクリームを泳ぎ切りキュビズムのような苺を目指せ
どこまでも理想を追求して模倣に近づいた実物
純粋な感覚故に死を覚悟しろ
その果肉と果汁の甘さ酸っぱさに開かれ過ぎて
魂は既発するだろう
宇宙空間の紙芝居のト書きに過ぎなくなっても
スペードのクイーンの運命とカードを捌く男の思惑とゲームを支配する
不動のルールとそれすら犯すイカサマがヒンズー教徒の神話のように
新鮮な残酷さで日々をモールで飾ってくれる
真実と言い張るための粉飾に窒息しかけた肺魚のような足どりで
仕事に出かけて往く人々
種の中にリンゴがあるのなら朝の中に夜がある
夜を睫毛にそっと乗せて若い娘の踵が秒針より早くアスファルトを刻むと
太陽が追いかける平らな空を転がってゴッホみたいに大気を燃やす
いつの間にか女の口から椰子の木が生えて実もたわわに生ってしまった
今ヤシガニがTシャツの中で乳首を摘まんでいる
わたしはなにから整理したら良いか解らなくなり
ただラジオになって受信する
そうしてラジオは発狂する
わたしは天ぷらであって辺りを煮え滾る油へ変えてしまうだろう
月は胎児の断面ように曖昧な質量を醸し
いつまでも溶けるように在り続けた




                         《2020年8月23日》








自由詩 フロントガラスにちいさな蝶が止まった Copyright ただのみきや 2020-08-23 19:13:37
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