除湿礼賛
アラガイs
‥今日は久しぶりにオーディナリー*な気分よ。 それにしては一丁まえにオメカシして‥彼女は軽く微笑みながら真向かいに腰を掛けた。1メートルと少しくらいかな。ズレかけたマスクを鼻先まで戻して僕が言うと彼女はマスクを外した。青い眼線/まるでハーフのような化粧を施していた。
広い店内に置かれた丸テーブルに客は数えるほどしか居ない。二人は窓際の席から同時に外に眼を向けた。ブラインドの隙間から覗くように、陽射しは間を取りながら濡れた路面に反射する。街には活気が戻りかけていた。ビルがレモン色の粒に輝いて見えたのは、炭酸からあふれ出る香りのせいだろう。雨は絹糸を引くような心細さでまだ降り続いていた。
ひとつテーブルを空けて座っていた中年の男が雑誌を閉じてすっと立ち上がった。上着のポケットからしわくちゃになった白いマスクを取り出し、皺を整えながら眼鏡の下に装着しそのままトイレに姿を消した。
‥僕はね‥あの公衆トイレね‥デパートなんかにある。あそこで大きいのができない質なんだよね‥。少し時間を持て余したのか、久しぶりの会話だったからなのか、なんでこんな場所で切り出したのかよくわからなかった。‥え?どうして? 当然聞き返されてしまう。くだらない話しだとはわかっていたのに‥。
‥いや小水のほうならね。いつでもできるけど‥でも‥これも後から人が入ってくるとつい気になって‥‥なんでかな‥緊張して出がわるくなってしまうんだよね‥。彼女はいきなりこんな話しをはじめた僕をストロー越しに見上げた。‥だから後から来たやつが、それも僕の真後ろの大の方に入るとね、もう~あの音とか臭いとかが気になって気になってたまらなく嫌になるのね。もしも小水が出る前ならすぐに移動を考えてしまう。もう大とか、勘弁してくれよ、自宅で出して来いよってね‥‥。急にストローから口を離すと彼女は下唇を突き出した。 ‥繊細なのね、神経が‥。でも急にお腹の調子もわるくなるときってあるじゃない。 ‥ダヨネ。それならやむを得ませんネェ。 ‥だから‥最後は何処で、いつしたのかも覚えてないよ僕は。笑。 ほんの一瞬だけトイレに目線が奔った。バランスがよくないのか、彼女はさり気なく脚を組み換えると、少し小馬鹿にしたような表情が動きから読み取れた。
‥女性はいいよね。トイレで化粧直しとかもするんだろう? 鏡の前で堂々とできちゃう。 ‥いいよね。 店員がドアを開けた。入り口から外の生暖かい風が忍び寄ってくる。
‥女は音で誤魔化してんのよ。だって出るものは皆同じじゃない?あら!ヤだわ。なんでここでこんな話しをするのよ。笑。
‥ネェ、ところで、おかまちゃんたちって男性の方?それとも女性の方かな。僕は出くわしたことないんだよね。きみは? ‥見たことある? ‥ん?‥頸をちょっと捻り彼女は間を空けて思い浮かべるように言った。 ‥私も見たことないわよ。そんなの‥笑。だって可笑しいじゃん。 ?え、何が(?)
そうだろうな。 付いている付いていないもの。女装のときは女。普通のときは男性と分けて‥‥たぶん大の方へ入って用を足すんだろうな。見られないように。 これもちゃんとしたニューハーフならば、やっぱり女性専用なのか‥‥見た目わからないよな‥‥ *うん繊細だ。 ‥ちゃんとした?ん?何が? そう言いかけようとしたところで、中年の男がトイレから出て来て席に着いた。マスクに湿り気が漂っている。 じろり と見てすぐに顔を背けてやった。