母親の変態についての手記
ゆるこ

白いカーテンの揺れる部屋は
少し黴臭く、湿っぽい
レンタルベットの軋む音の中に
心臓だけになった母親は 小さく呼吸を繰り返していた

はじめて母親の大きな身体が剥がれたのは 小五の夏休みだった
当たり前を 繰り返す日々に
いつの間にか、亀裂が生じ、
そこから母親の肌がべろりと 剥がれてしまった

ファンデーションで塗りたくった肌は
こわばった筋肉と血液で汚れ、
医者たちは、母親がこれ以上小さくならないようにと

ワセリンと、薬と、ガーゼとを

工場の作業員のように、何度も修復していたけれど
内臓があふれ出てきたころには
すべてのことをあきらめていて
私はそれを、とても正しいと思った

母親はまさに
すべての汚い、恐ろしい、悲しい、むなしい
物事からすくわれようとしていたので
私はそこから
ベットの上の母親の変態を、観察し続けていた


半年後には脳が半分 綿菓子のようになくなり
一年後には 口内の歯が魚の群れのように抜け落ち、
二年半後には カテーテルを通していた左腕が、面倒くさそうに腐り落ち、
そこから順々に、四肢は腐り落ちていった

四年目には 悲しいにおいを発しながら胴が気化し、
髪の毛、目玉、口、のどぼとけなどは
割と残っていたが、そのうち静かに消えていった

そのころには言葉は交わせなくなったが、
唯一残る 心臓からは
小さいころ聞いた 母親の実家の
駄菓子屋のにおいが ずうっと香っていた


私が子供を産んだ日、
母親はとうとう すべてを地球に返してしまった


もう母親の顔は思い出せないが
生まれたての子供からは
母親の心臓と 同じ香りがした

似ているかも 今では不明だが、
時々子供の頭をまさぐっては
母親の心臓を 思い出している


自由詩 母親の変態についての手記 Copyright ゆるこ 2020-06-25 15:38:50
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