一晩中娘道成寺を見ていた
ただのみきや

どうぞお先に

誰も持って生まれてこなかった
それはなにかを表す記号
中は虚空で面は鏡張り
金より重くて空気よりも軽い

地球で一番重いものは何かと問われ
ある子供は「それは地球」と答えた
でも地球は虚空に浮かんでいる
亀の甲羅にもアトラスの肩にも支えられず

見えないものを見ようとする時
人は知らずに鏡を覗いている
自分の輪郭のみ映さない鏡を
だから少しでもいい他人の靴で散歩したい

正邪善悪の秤
利益不利益の計り
それらの影に怯えながら ただ
美しいものを追いかける醜い鬼のままで




タマネギなら良かった

タマネギなら良かった
剥いても皮ばかりで中身がなくたって
その皮が食べれるのだから問題はない
だけど剥いても剥いても中身のない話
ましてや犬も食わないような話
剥きながら本人涙を流してする話は




野暮天

白雲に覆われた山脈
そこから一列に近づいて来る
送電塔の下 繁る叢に
どこから飛んで来たか
朝顔が蔓を這わせている
うす桃色の花房をひとつふたつ
霧雨に濡れた姿はなよやかで
はかなげにも見えるが
ただ己のために項も白く
毒もなければ棘もない
容易く手折られて
手折られても美しい したたかに
ただ己のために
雷を担いだ鉄の巨人の足元にまで
しな垂れながらも這い上ろうか
かつて粋と呼ばれたものを想う
わたしの知らない知れない世界
ふと 匂うように




頭で椰子の実を割る男

瞳には海を乗せ
耳には翼の幽霊を飼う
そうして口は閉じたまま
生贄の子どもで封印して
発語する度に一人殺す
地獄も天国も朝飯前
全てが方便の大道芸
稼ぎはすっからかん
足を止める者もいない
小銭を入れてほしいとは思っていない
芸をしている自分が好きなだけだ

秘密へ潜って息が続かずに
わたしは岩の上の人魚に「危ない! 」と叫んだ
だが間にあわないパイナップルが顔面を直撃する
飛行機から誰かが飛び降りる
パラシュートが開くと風に流されて遠く
見えなくなった
運命の恋人が
わたしの書く詩の中のどこかへ沈んで往く
画家の仕業の蒼ざめた太陽のように
酷い話だ 政治の話なんかよりよっぽど
わたしなら世界を犠牲にしたってわたしを救うだろう
それが自死であり尊厳死というものだ
悲しみも理解も不要なもの
そもそもわたしの詩を解らない他者が
わたしの自死を解るわけがない
だが作品は消去できても
人は決して自分を消去できない
消しゴムを摘まんだその指先が最後に残ってしまう
そして指先には必ず自分の指紋があり
指紋には灯台が立っている
猫がいるしカモメの置物と地球儀もある
開いた本の中はまた海だ
危ないの「あ」 まで叫ぶと
またも人魚の顔面をパイナップルが襲う
早めにコーヒーを淹れればよかったのだ
誰もいないはずの後ろに誰かが立つ 刹那
わたしの頭は本の中へ切り落とされた

 *名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ……
               
見回せばパイナップルもあちらこちらに浮かんでいる
原子力箱舟が救われたがりの人類を乗せて彼岸を目指す
モゥビ・ディクが全てをぶち壊す
幾人かが必死に溺れまいとそれぞれの幸福論にしがみ付いたが
まもなく鮫の餌食になった
少年よトビウオを目指せ 空でカモメと交尾せよ
そうして人類を思考する飛行機械へと進化させよ
老人よ諦めよ 希望を持つな希望を語るな
なだらかな黄昏に孫たちのドローン攻撃を甘んじて受けよ
そうして歌か句の一つでも残せ
文化教室にでも通ってしっかり備えろ
テロリストさもなければ石仏になれ
おまえたちの語る歴史は苦いが虫歯になる
だから子供たちがこんなに薪として積まれてしまって
みんなお前たちの火葬のためじゃないか
生き延びようとするものを死神は追いかける
死にたがりやは生のジャンキー臭い嫌われ者だ
一度本を閉じてページを違えたらもう戻れない
こちらの現実で生きればいいさ
今まで何度もそうして来たのだ
初恋の子は人魚とよく似ていたし
いつか明治の藤村とうそんへ辿り着くかもしれない
その時椰子の実が笑ったら
どうする? ええ? おい!
透谷おまえはどうする
おまえが一人目だぞ!
椰子の実が口をぱっくり開けて
おまえの嫌いな戯言の語り出せば
蝙蝠も鶯も寄り着きはしない
全ては牢獄の中で見た泡沫の夢
おまえも おまえの死も

誰かの手の中で目覚める
ペンダントのように
ひとつの過ちが誘発する
占いの日々のように
なにげなく苦いキスをして離れた
あなたの眼に映る
わたしは誰か

 
*島崎藤村「椰子の実」より引用

                     《2020年6月20日》











自由詩 一晩中娘道成寺を見ていた Copyright ただのみきや 2020-06-20 16:32:26
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