壊疽した旅行者 四
ただのみきや

息よ

ゆらゆらと光を含み

ゆるやかに 雪は 雪であることをやめ

それでも水は見え ふれると滲み うすく纏わり

やがて消える 目覚めの夢のよう ふれても気づけないまま

面影と からそら ほかになにもなく

伏せたまなざしの先 ひらかれた日差しの扇に

中空のおぼろな影 天地の呼吸にこころ潤み

ほどかれて漂い上るものたちよ

ああこの土嚢のからだから煙のかいな

せめて送らせよ 生者のことばの境まで





うす暗い雨の朝
黒々した傘の群れに混じり
少女の差したピンクの傘
気の早い朝顔
曲り角を流れて消えた
そんな一つの時代だった




風と石

なよやかに孕む白い帆は女神の装い
はじめての愛撫に戸惑い身を閉ざしながら
内側からやわらかくほどけて往く新芽たち

春風は囁きながら時に強引
すべてのものと恋を語らう

木も草もない谷を滑り降りて
埃だけが舞うつまらない相手にさえ

その石は海だった
内にアンモナイトをひとつ住まわせて
記憶の潮騒に揺れていた

(ああ またさざめいた!
  子猫を撫でるような仕草にすら水の性―― )

石は恋をしていた
敏感に感じていたのだ
それを表現する術はなく
反応ひとつ示せなかったが

ただアンモナイトだけが知っていた
石の心に揺蕩いながら
あれこれ想像してみる
 (風って 脚とか何本くらいあるのかな ) 





山菜なんて採りに出かける暇もなく
見切り品のこごみを買って来た
ボールに水を張り渥抜きしていると
小さな蟻が一匹浮かんで来る

――数奇な運命

銀のボールは澄んだ水を湛えている
生へと足掻くおまえ 故郷はもう
月や 来世ほども遠い処

――溺れる蟻は指をもつかむ

(すみません タオル貸してもらえます? あと電話も )

そんな最後の言葉を付与し
摘まんで潰してティッシュで捨てた




春の坂道

日差しに鳥の声は次第に高まって
それでも空は恐ろしいほど深くてなにも無く

一本の縦笛がゆるやかなアスファルトを転がってくる
生来の音色にあってはならない鈍く削らえるような響き

ハイヒールを履いた女が通り過ぎる
慣れない 様に鳴らない足どりで

――交差して

食べ残しの おっとりとした朝
もう助からない 助からないそれすら回想だ

足元を過ぎて 届かない処
なんどもなんども繰り返す
なだらかでも坂道は坂道だ




死者の数

死者を数える時 顔がない
たったひとつの死 その顔だけが
親しい者たちに分け与えられる

顔は若返ることはあっても老いることはない
言葉や表情が幸福に彩られても
いつも一抹の痛みを添えて差し出される

わたしたちはもう幽霊は望めない
あずまやで耳を澄ますより
情報の餌台で押し合い圧し合い噂で猜疑心を肥やす

死者を数える時 顔がない
不安が塞ぎ悲しみが入れない
批判と美談 どちらが酒でどちらが肴か




巫女の系譜

随分と追って追い詰めて
一枚の絵から破れ出たもの
やはり女の姿か

巫女であり芸能者
時代を越えて現れる
向こうと此方を繋ぐ ものぐるいの身体表現者

創作編集された歴史と
漆器の如く艶やかに塗り固められた伝統
内側からいとも容易く鞘が弾けるように

舞い踊る肢体は花ように膨らみ
焔のようにゆらめき爆ぜる
女は鬼となり神となり

陶酔の 破顔の異端 異形者よ
討伐された鬼たちの哀哭を聞かせ
わたしの中の纏ろわぬものを呼び醒ませ

おまえは裏返し 水に映る影
書けば舞い 舞えば書き
掻き抱くように深みに身を投げる





                《2020年4月12日》









自由詩 壊疽した旅行者 四 Copyright ただのみきや 2020-04-12 13:38:46
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