サイト荒らしと冬と春
第2の地球

日参6000人の大型サイトに、1人のサイト荒らしが訪れた。
5999人がそのサイトを好きだったが、その1人はそのサイトを憎んでいた。
3年前、現在のサイトの前身サイトでそいつと話したことがあった気がした。
その頃とはお互いハンドルネームも違う。確証はない。

そのサイトは「人の弱さ」を容認していた。
だから3年前、あいつは弱かったんだと、思う。
弱い自分を曝け出していたらつけ込まれたのかは、
しらない。
3年の間にそこで何があったのかも
しらない。
でも憎んでしまった。「人の弱さ」を容認することを。
そしてそのサイトを。

立派なサイト荒らしに育ったあいつと、多分、再会した。
その1人を育てたのは他の5999人だと思った。
3年前は同じ場所にいたのに。

    こぼれてしまった。

あいつは毎日毎日夜の八時になるとサイトに現われ
その時間以降
全てのチャットはあいつの無意味な発言で埋まった。
全ての掲示板はあいつの無意味な書き込みで埋まった。
管理人へのメールフォームから毎日100通もの無意味なメールを送り続けた。
あいつの望みどおり、訪問者は激減した。

3年前は同じ場所にいたんだ。
弱さ故、行き場をなくした人間が集まると謳うそのサイトで
弱い奴らは更に弱い奴を叩いているように見えた。
5999人は1人を非難した。
5999人と同じだけ弱いその1人を。

    こぼれてしまった?

彼らはあいつの弱さを認めなかったし、
あいつも自分の弱さを認めず、事態は一向に好転しなかった。

    こぼしてしまった?

ふとしたことからあいつとコンタクトを取るようになった。
でも
荒らしを止めろとは絶対に言えなかった。
ごくろうさま
毎日それだけ言った。
こぼれたあいつに寄り添っている気になった。
 
それも私のエゴに過ぎない。

隙間は隙間を産み続ける。

サイトは荒れ続けた。

もしあいつが助かるなら、そのサイトは消えてもいいとさえ思った。
5999人と1人との重さは、同じなんだと思っていた。
寄り添っていたかった。

私も彼らもあいつもエゴイストだった。

冬が終わった。
あいつは唐突にいなくなった。
お別れもなかった。
そのサイトはまた元の賑わいを取り戻した。

そのサイトでは私は管理人に扇動家と呼ばれた。
多分一生アクセス禁止だと思う。
相当、憎まれている。
仕方ない。謝って許されるものではない。
犯罪行為を容認したのだから。

行かなくなって大分経つがいまだに
環境変数の出ない日本のプロクシを刺さないと
閲覧すらできない。
笑ってしまう。

そういえば
あいつの荒らし方は芸術的だった。
芸術家が行き着く先は天国か地獄かというと、地獄だ、という
そんな話を聞いたことがある。
ならば
芸術的なサイト荒らしが天国へ行き着くこともあるんじゃないかと
今、苦笑している。


元気ですか、桜ももう散る。
今日もごくろうさま。


散文(批評随筆小説等) サイト荒らしと冬と春 Copyright 第2の地球 2005-04-08 22:27:51
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