まわりくどい話
ただのみきや

他の人生はない
次の人生もない
分かり切ったことだからあえて口にせず
「もしも」や「仮に」の世界を言葉にしたのだろうか
詩を書き始めた頃には多かった直喩から
あえて隠喩を多くしようと心掛けたように
いちいち断らずに
説明もせずに然も当たり前のこととして
書くことに躊躇はなかった
この目で見える世界すべて
事実を印象として捉え
記憶に自由を与え
照り返しと陰影に途切れがちな輪郭で
意味の繋がりは結果に委ね
時には物語の形を借りながら
俄かに想いに現れるもの
意識の水面下
自我の境界外
目を凝らし耳を澄ましたり
本や映画や音楽
歴史や宗教
日毎のニュースにまで
気ままに行き来も出入りもし
言葉を紡いできた
そこにわたしの知らなかったわたしが在り
鏡の中から語られる世界観や人間観に
時には戸惑いもしたが
こうした詩作の行為は混沌としているようで
むしろ整理に近く
言葉にするという行為は
いかに直観や感性に導かれたとしても
どこか理知的な頭の作業であり
知恵熱を出すような遊びでもあった
時には主張したい何等かのために詩を書いたが
できることならただ詩に急かされて
ただ詩作の欲求に突き動かされて詩を書いていたい
そうして詩中の己の視点で世界を捉え直し
いわゆる現実社会というものから増々逸脱し
自らを詩の中に放流する
あわよくば詩そのものへと存在を変換し
幽霊のように微かに淡く
一冊の本からでも匂い立てるものなら
面白いことではないか
そんな企ても「もしも」でしかなく
生きている間になんとかそれを成し遂げよう
などとは全く違い
自殺でもしない限り
終点の見えない日々を生きなければならないのだから
日々増し加わる生の苦悩から目をそらし
本当は明日でも今日でも死んで潰えてかまわない
ただの妄想を
まるで大きな目標や生き甲斐でもあるかのようにして
詩人的気分に浸っている
おそらくはそれが真実でありつまりは
すべてが出鱈目ということだろう
別の人生があったとか
自分が今の自分以上の何かになりえたとか
あえて声に出して否定する必要はない
そんなことは分かり切ったことなのだ
わたしはわたしという牢獄の中で
自由気ままに他人になって
妄想の翼で飛び回る
ガラス壜の中の海原を進み
誰かの眼の中の宇宙で難破する
矢の如し光陰を捕まえて
いつまでも見つめている
ふりをする
泣くことも涙を流すこともない人は
悲しむことがないと言えるだろうか
喜怒哀楽はそこら中に落ちていて
共感は心地よい居場所だが
理解しがたい共振の痛みに震えながら
今は無人の孤島に残された鐘のように
朽ちて往く快楽に蔦を絡ませて
蝶を数える
くちもとから
蛙の足がはみ出している
こんな逸脱を繰り返し
遊戯に夢中の子どものように神隠しに逢えたらと
酒を飲む日曜日だ




            《まわりくどい話:2019年9月8日》









自由詩 まわりくどい話 Copyright ただのみきや 2019-09-08 14:35:29
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