颱風と怪獣
北村 守通
台風というやつは不思議なやつである。その風雨の強さは恐怖を感じさせるとともに、何かしら神秘的な力の強大さを感じさせるものがある。
だからなのであろうか、台風は特撮映画や番組においても重要な役割を与えられることが少なくない。
例えば『ゴジラ』の第一作において初代のゴジラは大戸島に台風とともに上陸し、村を蹂躙した。台風が真夜中に上陸し通過していく際の不気味さはなんとも言えないものがある。雨戸を締め切って、外の世界の様子から完全に遮断された中で伝わってくる音や振動は、閉じ込められた者の不安を必要以上に倍増させる。その壁一枚隔てた外の世界には人智を超えた巨大な魔物が潜んでいても不思議ではない。そんな魔物を具現化したのが、このゴジラでの大戸島上陸のシーンだったとも言える。
一方でシリーズ4作目となる『モスラ対ゴジラ』においてはモスラの卵は台風によってインファント島から静岡県に運ばれてきてしまう。この突然現れる異世界の漂着物、というのも台風にとってなくてはならないものである。一夜明けて外に出てみた時に広がる雲一つない青空や、どこからか運ばれてきた出所不明の残骸を見たときの驚き、その様なものがこのシーンの中に閉じ込められているように思う。また、このシーンは怪獣というやはり人智を超えた存在ですらも台風という自然現象に抗う術もなかった、ということを表していて大変興味深い。
もちろん、この台風と怪獣との力関係は『モスラ対ゴジラ』の時点ではもはや『怪獣』という存在が人間にとって身近な存在になっており、その存在が徐々に恐怖の対象から外れつつあった、ということも無関係ではないだろう。本来、台風と同じように『存在の原理についてわかっていつつもどうすることもできない魔物』として存在していた筈の『怪獣』はいつしか『人間のそばにいて特殊能力で助けてくれる便利な隣人』に変わってしまっていたのである。結果、怪獣はも台風の中に潜むことはできなくなってしまった。
その後台風に潜めなくなった怪獣という存在は、自ら台風を発生させることによって(帰ってきたウルトラマン第28話の台風怪獣バリケーン、ウルトラマンガイア第7話の自然コントロールマシン天界等)原点に回帰しようとしたりもした。けれどもそれは作り物でしかなかった。
こうした中で一つ特異な話がある。
それは『ウルトラQ』第11話『バルンガ』のエピソードである。表題のバルンガとは土星探査ロケットに付着してやってきた『宇宙胞子』という存在で本来は太陽のエネルギーを吸収して成長する、という設定である。この胞子はあらゆるエネルギーを吸収することができ、エンジンのような内燃機関の発するエネルギーから、ミサイルの爆発のエネルギーまで手当たり次第に吸収し無限に巨大化していく。人間の力では排除できず東京はエネルギー供給が止まってさぁ、どうする、というときに台風が上陸する。主人公たちは台風の力によってバルンガがどこか遠くに運ばれることを願うのだが、なんとこのバルンガ、台風のエネルギーさえも吸収してさらに巨大化してしまうのだ。最終的にバルンガは人工太陽を打ち上げることによって、それを追って移動を始め地球圏を離れることになる。このように台風という地球自身の力すら吸収してしまう怪獣というのはこのバルンガが最初で最後であっただろうといえる。もちろんそれはバルンガが宇宙生物であり、一個の生物であれども小型の惑星を凌駕しうるという、宇宙という可能性の巨大さの表れでもあるのだが、この発想の大きさは私を大きく驚かせた。
バルンガの話では少々逸脱してしまったが、こうした特撮映画・番組における台風というのものの描かれ方は二つの要素を表しているように思う。
1つはは削り取っていき、その過程で破壊していくもの。そして2つ目は異界の物を運んでくる、伝導するものとしての要素。相反するもののようであるが、削り取られてきたからこそ、私たちの目の前に運ばれてくるのである。一方で削られた私たちはそのいくつかがどこかに流れ着く。ともに私たちの眼前に広げられた新たな可能性の種ともいえるのかもしれない。そこにはもちろん恐怖もあるが、期待感もあるのである。
これを書いている8月某日、台風10号が迫りつつある。海は茶色くかき乱されてはいるが、陸の方ではまだその兆候は見えない。10号が通り過ぎる下で、そして通り過ぎた後にどのような世界が広がることになるのか、不謹慎は承知しつつも私は楽しみでならない。