美笛峠
たちばなまこと

部屋の明かりを閉じると
雪のシャワーが見える
毎日見下ろす家々の存在が
ゆるやかに散りゆくのを追っている
濃紺に不透明水彩をのせた
薄桃と薄紫
小さな明かりの秘やかなおしゃべり
シャワーでかき消されたおしゃべり
窓枠の隙間風に撫でられながら
ぬすみぎき
いつか下った峠の吹雪の色が
呼んでいる

若草の匂いを呼吸して
冷気をたたえた朝焼けのおはよう 瞼に焼きながら
ねまがりたけの子どもを 向かえにゆく春
涼しい渓流に飛び込みにゆく 胸躍る私たち
太陽いっぱいの風に 手を振る夏
落葉(らくよう)の下で待っている 白まつたけを掴まえに
温泉地の森へ もぐる秋
カムイが見送る季節だった

冬の到来を 無口なままで受け止める
シルクンネ 呪文 濃紺に沈んだ山々
薄桃と薄紫
どこからやって来たのか
悲しげな明かりのヴェールを羽織って
気をつけて帰って
また春に会おう
寒さに耐える険しい声で 父のワゴンを
たたく
窓にはりついた私の頬に 雪が
届きそうで届かないまま
車内の温度に消えてゆく
遠くまで吹雪の色
薄桃と薄紫
車内からこの部屋へ
私はいくつも歳を背負って
この瞳は この耳は この躰は
色を 色を 重ねて
戸外は峠と同じ 夜へ向かう色をして
夜のはじまりの吹雪の色は
これからたどり着く果ての
凍てつく美を 知らない土地に立っても
瞼を閉じれば拡がる色
弱音なんて吐かない

「あんたとはもう一度ぐらい、旅したかったな。」
父が言う
最後の冬の声色を 風の便りにきいて
待っていてください
美笛峠




・美笛…支笏湖の西岸、千歳鉱山のある美笛川流域一帯
・ねまがりたけ…根曲がり竹 筍は直径1〜2cm、丈5〜15cmぐらい
・白まつたけ…モミタケの俗称
<アイヌ語>
・カムイ…神
・シルクンネ…夜になる
・ピプイ(ビフエ)…石の穴、石の岬、石の瘤山


自由詩 美笛峠 Copyright たちばなまこと 2005-04-02 12:43:59
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