入道雲が立ち去る頃
北村 守通

入道雲が街を洗う準備に追い立てられている頃、彼女は無言でテーブルに向かった。まるで決められていたように奥のテーブルにまっすぐ向かうと、パーテーション代わりのプランターを背にして座った。後からわかったことだが濃い緑のワンピースにどのような顔があったのか誰も覚えている者はいなかった。髪はどうやら黒色で肩までおろしていたらしかったが、それとて怪しいものだった。彼女はごく当たり前に彼女であって、それゆえにごく当たり前の光景であったから、誰一人として注視する者はいなかったのである。
 さて、彼女が席について少しすると、入道雲は自分の仕事を始めた。定刻通りのことだった。阿鼻叫喚は大粒の水滴によって路上に積もっていた細かい土砂と一緒に流し出された。
 センセイと呼ばれる男が入ってきたのはそれから五分くらいたった頃だった。雀の巣のような頭から雨水を滴り落としながら彼はいつもの自分の席に座ろうとした。そこは先ほどの彼女の席の右隣りであった。センセイが腰かけようとしたとき、彼女が立ち上がり二言三言話しかけた。最初要領を得なかったようなセンセイの顔はぱっと明るくなり、上機嫌で給仕を呼んだ。そしていつもの自分の席ではなく、彼女の席の前に座り直すと、やってきた給仕に二人分の飲み物を注文した。二人は乾杯し、しばらく話し込んでいた。やがて入道雲が自分の仕事を終えて帰路につく頃、二人は連れ立って店を出た。彼女の顔はセンセイの影になってみることができなかった。センセイは終始上機嫌だった。それが生きているセンセイの姿が目撃された最後だった。


散文(批評随筆小説等) 入道雲が立ち去る頃 Copyright 北村 守通 2019-06-27 11:52:45
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