(――さて、今此処にお見せするのは、「私が不眠に襲われる時、それは必ず夢を見ている時なのだ」という独特な名言で知られた或る人物の、長らく存在しないとされてきた仮構日記のうち、奇跡的に残存していた幻の一部であります。お読みになれば判る通り、これはまさしく『架空日記』でありますから、あくまでも仮構であること、その事をまずは読者各位 皆様にくれぐれもお断りしておきます。)
『或る架空日記』(抄)
○月 □日
或夜、とつぜん知らない人の書斎に案内されて、その人が生前書き残したものを読んでいる夢をみた。その夢は、あまりにもリアルだったので、正直いまもまだその夢から醒めずにいるような気すらしている。書斎の机の一番大きな抽き出しの中に、一冊の黒革の日記帳だけがひっそりと重く入れられているのを偶然見つけてしまい、ともかくも、私はまずそれから読み始めた・・・・・・。恋を知らずに死んだと言うその人は、どうやら、毎日誰かからの手紙をずっと待っていたようだった。そこには郵便箱の記述が何度も出てくるのだ・・・・・・
○月 □日
今日も、ポストを開けてみた。すると、今日はアルマジロトカゲが入っていた。何なのだろうこれは。悪戯だろうか・・・。普通の人であれば驚くに違いない。でも、私はものに動じない
性質だから、「コンニチハ、元気?」と挨拶してみた。しかし、
其奴は、自分の尻尾を咥えたまま、憤怒の形相で動かない。コレはこれで、誰か、かなり苦悩している人の手紙なのであろう、きっと。
○月 □日
朝、ベッドの中でいつまでも起きられず、顔を洗ったときには、時計は8時を過ぎていたが、昨夜、なにか夢を見たような気がして、しきりに思い出してみたが、いっこうに思い出せなかった。私は、見た夢のことをまったく覚えていられない
性質なのだ。ただ、何となくだが、骨相学についてアリストテレスと議論して彼を号泣させてしまったような気もする。
(――筆者註)
◇ 骨相学というのは、19世紀、西洋で大流行した、言わば、頭蓋骨で人間を測る占いである。なので世紀後半には、科学から排除された。だが「能力」論の系譜を古代ギリシアから辿ったりする場合に興味深い。
◇ 「此の時、アリストレスが骨相学を擁護したので、私が風呂敷からデカルトの頭蓋骨を差し出して見せると、彼は突然号泣した」と、この時の記憶を後日の日記に書いているが、「それは多分、眠る前に『デカルトの骨 死後の伝記』という本を読んだせいに違いない」とも小さく記されている。
○月 □日
休日。本屋をハシゴして歩く。古書店も見て歩く。本から本へと飛び歩く蝶のようで、自分が莊子だったか蝴蝶だったか分からなくなるが、結局、小知など捨ててしまえというわけで、上質な蜜を、二、三冊買って帰るだけである。ところが帰り道、なぜか、《統計によると世界では、年間に航空機事故で死亡する人よりも驢馬に殺される人の数のが多い》といった変なTriviaまでが、花粉団子の如く脳に沢山こびり着いてしまっているのが、まったくもって無用の用だ。
○月 □日
『日記論』という大著を書き上げたので、ぜひ読みに来い、と言われたので、ああ『土佐日記』とか『更級日記』とかその辺の研究ですかと訊くと、全然違うもっと面白いものだと言うので出かけてみた。しかし、考えたら私は相手の住所を知らなかった。そこで、行く宛てもなくぶらぶらと暫く歩いていると、庭で日記を燃やしている和服の女性を見つけた。「墓を暴かれないように、闇から闇へ」と女性は微笑みを見せながら、歌うように、頁を破り取っては、火の中に投じていた。私は一瞬でその頁を読んで、美しい名文に舌を巻いた。私はそれを強く惜しんだが、最後は、その女性自身が燃えてしまった。
.――――<「架空日記」という企画テーマで書いてみた作品>