あじさい
田中修子
濃灰色に、重く雲があって
息苦しいような午前中に
雨がふりだした
傘が咲くだろう ひとはそのひとの人生のために 雨の底を歩いてゆく
歩んだ歩数のおおさ すくなさ おもさ かろさ
かろやかにたくさんあゆみたかったと思いながら
わたしはそのひとつひとつを数えながら
ポトッ ポトッ
ザー…… ザー……
トトトトトッ トトトトトッ
ピチャ ピチャ ピチャ
シャルルル シャルルル
ことばにしきれない 雨のその音
音の数より人生があって そのひとつぶひとつぶが 少し歪んだがらす玉のように
正円でなくとも できるだけ 空の涙のように 澄んであればいいと
一日中 夜まで降りしきる 赤い麻のカーテンの向こう マンションの窓に橙色のあかりが やがて消えていく時間まで 眠れないでいる 濃紺の夜
(ひとのすくない北の国の夜は真っ黒だった 都会の夜はすこし なにか明るくて目をつむっても 手で瞼を覆っても 隠れることができない)
車のタイヤが雨溜まりをよぎる音は波の音に似ているらしい
海のそばですか とたずねられた
いえ 海のそばではありませんが そうか
水が耳のなかにひたついて なみうっていて あんなにも恋しかった 海の底
が、こんなに近くにあったのだと知る
学名 Hydrangea macrophylla 水の器
七色の小さな手が無数に合わさり鉛色の雲を瑞々しくたたえた天に向かってひらく 雨粒をうけとめ それを飲み干していくのは
アマガエルそうして子どもたち、夢想にふける自我なんて
雨をうけとめつづけた器その内側からやがて水そのものがあふれ出し 地を満たすなら
箱舟にのせて流してしまいたい 羽ばたく白い知らせを待って
時期に咲く花花があの神話を生み出したの いえ、二度目の洪水なの
耳からつながって頭蓋のなか
人魚が水死体を喰らう みなそこに
紫陽花の鉢植えをおきたい 淡い あかむらさき・あおむらさき
白い紫陽花もあるよう 北欧のランプみたいだね みなそこを光らせよう
アジサイという題名で小さな詩のようなものをつぶやく 鳥の鳴く苑
どきどきする心臓に赤い接吻が降りしきる わたしのゆびさきも求愛の嘴
紫陽花には 陽 という字が入っていて
梅雨の時期 煙る雨の中 永遠のように反射しながら光る
雨の日だけ、あの花から 紫の陽が差す
梅雨の時期 ほんとうに 紫陽花のまわりは 粉ガラスのように きらめいていくから
牙をむいたシャチでさえ そのまわりを くるくるくるくる 泳いでしまって
そのくちもとが すこし 笑っている
すこし欠けた空想がめぐりめぐる くらい深層のゆめのなかに
やはり空想の紫陽花の鉢植えをおくと
そのまわりだけパッと明るくなった
人魚たちは水死体の肉を喰うのを少しやすんで
イソギンチャクやフジツボで飾りした黄色や紅色の傘をさして たまには女どうし 華やいだ噂話をする その色情の鱗を
つゆ色にくるおしく染めて
みなそこにも雨の季節がきたようだ