なぜ詩を書くのか
石村
詩は生きるために必要なものではない。
例えば貧しく混乱した世の中では人々は生きていくことに必死で、詩どころではない。豊かで平和な世の中になると今度はしなくてはならないことが多すぎて、やはり詩のことは忘れられる。誰にもやるべき仕事、こなすべき用事、読むべき本、考えるべき問題、喰うべきもの、飲むべきもの、見るべきもの、聞くべきもの、べきべきものがいくつもあって、その中に詩は含まれない。生きるためにやるべきことが多すぎて、生きるということに使う時間などないから、詩を読む時間はもちろんない。
日常生活の中で、詩はよほどの暇人以外には必要とされていない。詩を書くなどというのはこの世の中で最も不要不急の所業のひとつで、詩を書く以外に能のない私などはこの世の何の役にも立たぬ無用者だ。詩は生きるために必要なものではない。それでいい。ひとが己のいのち以外のすべてを失った時、生死の狭間に呆然と立ち竦んでいる時、いつか心に刻まれた言葉だけがまだ残っていてその人に響き、語り掛けてくる、そのような言葉があるとしたらそれが詩だ。
いのちひとつだけの素裸になった人間の手元に残された唯一のものであるような、そういう言葉を残すために、私は詩を書き続けている。