自然状態について
レタレタ19


21世紀に入ってはじめはテロリストたちによって、
思い知らされてしまったし、グローバル経済によって
独占企業化が進行してしまったことと同期に政治まで
右傾化してしまった。ネットでは動画投稿が当たり前
になりもはや何でもアリの無法領域と化している。
スマホさえあれば何でもできると言う幻想はいまやあ
たりまえすぎて自分たちがその中で蠢きあっている事
も忘れてしまっている。社会人としてのマナーや慣習
はまるでお笑いタレントのごとくそれと相似している。

理性ということばを自分がはじめて知ったのは原作の
デビルマンを読んだ時であったと思う。
デーモンと合体するには理性の箍をぶっ飛ばさなければ
ならない場面があった。もちろん少年であった自分には
何のことやらわからず終いで、そうゆうところはすっ飛
ばして読んでいた。
次に理性ということばに出くわしたときのことは記憶に
ない。高校の倫理の教師が教科書を使わない変人だった。
教科書だけは買わせやがったくせに詐欺師のような倫理
感の乏しい一面がある人物であった。

学校で習った覚えがないというのも情けない話しだが、
きっと文庫本か何かで知ったのだと思う。
《理性》というと推論することや論理する能力のこと
を言うらしい。自分は数学オンチなのでたぶん理性は
ゆるく備わっているのであろう。ついでに《知性》とは
対象を把握する能力のことである。

ホッブズは自然状態に置かれたヒトを仮定した。
何も拘束するものがいないヒト・彼には《無限の自由》
があるのだが、他者にもそれはある。
《万人は万人に対して闘争している》ので、個々人
それぞれに《死への恐怖》に悩ませられる。

もちろんこのような仮定をいちいちしなくても、
裏社会でおこなわれている沙汰を思えば何時の時代に
限らず無法状態の領域は存在しているのである。

結局理性的判断をしなければならなくなるのは個人的
無法状態の恐怖から逃れ平穏な状況に移行する方策を
見つけることにあると思われる。

その方策のひとつが社会契約説であったりするのであ
るけれどももっとしっかりした生活基盤を考える事が
できないものであろうか・・・



散文(批評随筆小説等) 自然状態について Copyright レタレタ19 2019-02-12 19:46:50
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