ただ赤く塗り潰して
ホロウ・シカエルボク


午後を通り過ぎた影、踏みしだかれた詩文、血溜りのなかの指先、白紙のままの便箋、風が息継ぎをするときに聞こえる嗚咽は誰のものだったのか、忘れたことにした記憶が膿んだ傷のようにじくじくと抉り続ける理由はどこにあるのか、割れた鼻骨は人相を少しだけ不穏なものに変えるだろう、目玉に映るものだけに翻弄される連中の間では面倒な思いをすることになるだろう、彼らはどんな悟りも学びも与えてくれることはないだろう、固く結ばれた木箱の紐を解け、閉じられたものの曰くは失われた方が自由になれる、たとえそこにどんな代償が課せられようともだ、乾いた皮膚に浮かぶひとつひとつの細胞の輪郭は死を連想させる、それについて考える事なんてべつに珍しいことでもなんでもなかった、どのみちいつかはそいつが目の前に突きつけられるのだ、それはもしかしたら固く結ばれた箱の中身と同じ意味をこちらに投げかけているのかもしれない、生だけへの思いで生き抜くことなど絶対に出来はしないだろう、それが判っているから言葉は勝手にどこかへ逃れようと溢れ出してくるのだろう、詩人が綺麗な心でどうするよ、それは魂の奇形なんだ、後ろに隠しているものをこちらに差し出してみろ、愛を乞うために手の込んだ嘘をつくのか、偽りの熱意が手に入れるものはやはり偽りでしかないはずだ、すべてを語るための道具で一番底に在るものを押し隠そうとするなんてとんだ間抜けだ、愚行の果てに聞こえる嘲笑は必ず手前の心臓のなかからさ、ごらん、こんなに傷だらけだ、ごらん、こんなに血塗れだ、ごらん、こんなに陰鬱とした景色だ、ごらん、忘れられた水槽のようにいたたまれない、かつて生きていたものが砂のなかで形を無くしている、そんなもののいっさいをそら、ここに晒すことでもう一度生きようとしてきた、それは誰の為のものではなく、或いは自分の為ですらないかもしれない、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、理由をつけることは重要事項ではない、それは簡単な地図に余計な情報を書き入れるようなものだ、静かに置かれたものは音を立てないままそこに在り続ける、投げつけられたものはそれが脆いものであろうとなかろうとなんらかの変化を負うだろう、それ以上の事実が果たして必要だろうか、内奥の現象は物質と同じだ、そこに置かれた方法や状態がすべてだ、血溜りのなかの指先はそこから抜け出そうとするだけで様々な詩をそこに残すだろう、鯱張った理念のためにここに居るのではない、愛のために、心のために、世界のために、人間のために、人生のために、ここに居るのではない、すべては限定されない魂の歌のなかにある、神経や、筋肉や、細胞たちが、こうして扉を開けるたびに軋むことや、叫ぶことや、笑うことや嗚咽することのなかに、もしも、べろりと皮膚を剥ぐことが出来たら手っ取り早いだろう、それはどんなものにも勝る叫びと、詩文となるだろう、結論なんて単純で安直なものだ、だから結論のためにこれらはあるべきではない、筋書きが必要なら人生はすべて燃やしてしまうことだ、太陽が、月が、石がここにあるように、火が、水が、宿命によって蠢くように、ごらん、ごらんよ、ここにあるものはとても見られたものじゃない、だからこそ目が離せなくなるはずさ、覚悟だよ、覚悟を決めなければここには居られない、誰かへの思慕や、己のイメージの調整のために居るんじゃない、そこには自分自身の根源的な蠢きしかない、判るかい、それがどうして語られなければならないのか、判るかい、それがどうして差し出されなければならないのか、絶対的な個としての魂には個である理由がないからだ、それは俺のもので在りながら、お前のもので在ることだって出来るんだ、それは共感とか共鳴とは違うものだ、個を、種を超えたなにかだ、それは俺で在りながら俺ですらない、だから俺はここから立ち去ることが出来ない、真実は留まらない、陽炎のように、逃げ水のように曖昧に見えるのみだ、それは最期の瞬間まで追わざるを得ないだろう、そしてその瞬間でさえも、それが本当に望み続けたものなのかどうか知ることはないだろう。



自由詩 ただ赤く塗り潰して Copyright ホロウ・シカエルボク 2019-01-01 22:56:16縦
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